川越時の鐘

川越といえば店蔵の立ち並ぶ古い街並と時の鐘でよく知られている。佐原と並び関東地方では歴史的建造物が大規模に残っている数少ない街のひとつだ。その名声は全国に伝わっているようで、いつか四国を訪れた際、内子宿を案内してくれたガイドさんもその名を知っていたほどだ。

時の鐘は川越の旧市街の中心部に位置する。もと城下の高札場があったところに、寛永年間、時の城主酒井忠勝が立てて以来、何度か火災に会いながらその都度再建され市民に時を告げ続けてきた。今猶日に四度、時を告げる音を響かせ、市民生活の中に解けこんでいる。生ける歴史遺産なのである。

川越の町の歴史は、長禄元年(1457)関東管領上杉持朝が古河公方足利成氏に対抗するため、家臣の太田道真、道灌父子に築城させたことに始まる。その後北条氏の支配を経て徳川時代には、譜代親藩の藩主たちがかわるがわる封ぜられたが、寛永十六年(1639)松平信綱の代になって、時の鐘のある札の辻を中心にして、十ケ町の町割を行い、以後商都として発展する基礎固めがなされた。徳川時代初期には一万石の小藩に過ぎなかったものが、江戸末期には関東有数の都市に発展したのである。

商都川越の経済力を支えたのは水運である。新河岸川を開削して荒川とつながったために、川越は江戸の後背地として物資集散の一大拠点になった。その富を背景に整然たる街区形成やら賑やかな祭を営むことができたのである。

城址公園にある歴史博物館に往時の町家を再現した模型が展示されているが、それを見ると、札の辻から南へ伸びる一番街を中心軸にして、縦横の道に沿って店蔵が軒を並べた景観は日本の伝統的な街並の美しさを感じさせる。

鐘をいただく高楼は家々の屋根の上に聳え立ち、街の人々にとって生活のリズムを刻み続けてきた。街のひとびとが今でもなおこれに愛着する気持ちがよくわかるのである。





                       
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