航英日誌ーロンドン旅行記



 平成五年八月廿二日(日)晴れて風強し。残蝉愈々喧しく啼く。午前中は旅の身支度をなし、午後三時、炎天の下荊婦及び崇記とともに家を出づ。

成田空港に着せし後、旅行会社の受付を済ませ、ロビーの茶店に小憩して五時近く荊婦と別る。

崇記とともに出国窓口に至るに、手続きを求むる者堵をなし、混雑甚だし。

今年の夏は海外に旅行する者史上二番目に多き由にて、空港の盛況振りも成程と思ひやられたり。これ不景気に係はらず、円高の恩恵を受けんとて海外へと人の流るるなり。

窓口を抜けて免税店にてウィスキーと煙草を求め、飛行機に乗り込みしは五時半。搭乗せる航空機はキャセイ社の香港行五○五便。六時過黄昏の中を離陸せり。

余昨年の夏始めて蘭印、台湾へと旅行してより、夏の休暇は海外にて過ごすが宜しかるべしと思ふに至り、かねて今年は早都会の諸君とともに香港へなりと旅行せんと思ひゐたりき。

しかるに彼ら金も暇もなきことを理由に我が提案を肯んぜざりしかば、子を連れてロンドンにでも旅せんと決意したるはこの六月のことなりき。
その後旅行の計画を立て、我が子崇記もそを楽しみにするに及ぶ。

しかるに思ひがけず人事異動の命を受け、七月の中頃新しき職場へ異動したるを以て、この計画も危殆に瀕しぬ。

されど、一度は崇記と約束を交はせしことなれば、彼の期待を裏切るに忍びず。業務万端すべてをこの計画のために犠牲に供し、万難を排して決行することとはなしたり。

飛び立ちてより幾許も経ずして飛行機は漆黒の闇の中を進みぬ。七時半頃よりワインサービス、八時頃よりディナーサービスあり。

十時二十分(香港時九時二十分)香港上空に至る。暗黒の中に突然光のイルミネーション現れ、数も知らず光の数珠交差して美しきこと言はん方なし。

十時三十五分啓徳空港に着陸(この間の飛行時間実質三時間五十分なり)飛行機を降り、空港のビルに入るに、独特の臭気を感ず。

トランジットの手続きを取り、待合室に小憩し、二十四時ヒースロー行の便に搭乗す。飛行機内依然として日本人の姿多し。

二十四時五十分離陸。二時頃ハノイ上空にさしかかる。時にサパーと称して食事サービスあり。崇記は既に熟睡したれば、独り白ワインを飲みぬ。

この後、飛行機は暗黒の中をインド、カザフ、ロシアの各上空を経て、ヨーロッパへと向かふべきなれど、窓外は視界も別たず、かつ時刻も更け行きたれば、やがて眠りに陥りたり。



 八月廿三日(月)ロンドン時午前四時(日本時間正午)スチュワデスに起こされて目覚む。折から飛行機はラトビア上空を飛べり。

やがて日出でて、地平上を重なる雲の赤く染めわたるを眺めつつ、バルト海よりユトランド半島を横切り、六時近くヒースロー空港に着陸す。香港を出てより十三時間、成田を出てより十九時間半経過せり。

入国手続きをなし、荷物を受け取りて、ロビーに小憩。十数時間振りに煙草を喫するに、頭のくらくらするを覚ゆ。更にコーヒーを啜りて後、現地日本人のエージェントに案内せられてバスに乗る。

外気頗る涼し。気温摂氏十一度なり。沿道の景色を眺むるに、石作りの低層の長屋目について多し。これ所謂英国風フラット住宅なるべし。

七時四十五分、ロンドン西部アールズコートの一画なるスワローインターナショナルホテルに投ず。チェックインをすませ、部屋に小憩して後、九時頃崇記の手を引いて外に出れば、天晴れて初秋の如き爽やかなる陽気なり。

グロスターロードなる駅まで歩き、そこより地下鉄に乗る。巨大なる自動販売機を前に、アダルトシングルと表示せられたるボタンを押し、ついで行先のボタンを押してコインを挿入すれば、名刺大のチケットと釣り銭とが出てくるといふ仕掛け。

構内の行先表示に従ひ、ディストリクトラインのホームに下りるに、折良くタワーヒル行きの列車到着す。早速に乗り込めば、車中の座席一人分毎に肘掛けを有し、劇場の座席の如し。崇記と並び座し車内を伺ひ見るに、次の如き注意書あり。興覚えたれば記し置く。

   Piggy in the Middle
   ──If you are one of the munch, munch, bunch, please spare the    thought for fellow passengers. The smell of a snack can make most    peaple crack.

十二駅を過ぎ、二十五分程にてタワーヒルに到着、ロンドン塔を見物す。

いくつかある塔の中心はホワイトタワーなる四層の建物にて、中世の武具の類を陳列す。中に全身を覆ふ鉄製の鎧あり。例のブラゲットを付せり。かかるところに男の一物を収むべきとも思はれず、これ敵を幻惑する為のものにや、或は呪術の力を借りて自らを奮ひ立たしめんとするものにや。

興深く覚えていくつかスケッチせんとしたれど、崇記に空腹を訴へられて早々に退出し、タワーブリッジ下のキッチンなるカフェテリアに入る。ベーコン、ソーセージ、サンドイッチの類を食ひ、コーヒーを啜りて後、河岸よりタワーブリッジをスケッチす。

その後橋を渡りてテムズ南岸を歩き、ロンドン橋を渡りて再び北岸に出づ。

ややいくと正面尖塔付ビルの右横手に大火災のモニュメントあり。灯台の如き形せる建物なり。門番に十ペンス硬貨を何枚か支払ひて登楼す。

狭き螺旋階段を数百級上り詰めるや展望台あり。ここよりロンドンの街並を眺むることを得る。南にはテムズ川横たはり、タワーブリッジ、ロンドンブリッジを臨む。北西部には高層のビルいくつか望める外は、おほむね中層の石造のビル連なり、幾許もなくして低層の街並に消ゆ。東京に比すれば、街の雰囲気極めて落ちついて見えたり。

ここを出でて後、イングランド銀行を訪ね、シティの街並を詳に見る。中層の石造りのビルが連なり落ちついたる雰囲気の街なり。

通りの幅も広すぎず、ダークスーツ着せる紳士車の間を縫って路を横切る姿至る所に見られたるが印象的なりき。

ここよりキャノンストリートを西に行き、セントポール寺院を訪ぬ。礼拝堂を一瞥して後展望台に上れば、ここは先程のモニュメントより一段と高き所よりロンドンの街を鳥瞰することを得る。ここにてスケッチをなさんとせしが、狭き場所に観光客蝟集してのんびりとスケッチブック広げることを得ず。

寺院を出でて北側に隣接する小広場に小憩す。広場内のトイレに入るに、地階の広き空間を占拠して頗る清潔也。その訳は、一の掃除夫ありて常に便器を手入れするにあり。その掃除夫の為に便所内に詰所ありて、この男勤務時間中はここに詰めて便所を守るといふ。しかもこれは彼の天職なればチップは取らざる由。まことに以て驚くに耐へたり。

聊か疲労を覚えたれば、適当な居酒屋を見つけて入らんとせしが、付近にそれらしきものを見つけることを得ず。とかくするうちにも、崇記疲労に耐へざる様子に見えたれば、今日は大事を取りてホテルに帰ることと決す。

四時過、セントポール駅より地下鉄に乗り、ホルボーン駅にて乗り換へ、四時半、グロスターロード駅に至る。

途次地下鉄車内の様子を伺ふに、車両は日本のバス程の大きさなり。この小さな車両の中に大男ひしめき座席に座れる者足を組まば、通路錯綜して人の歩く余地なし。また、車内に中吊りの広告なく、壁にも広告は少なし。そのかはり利用者の為のインフォメーションは豊富にて、中にかかる注意書もあり。
  
     Don't wait to be asked, please offer your seat to others who need     it more.

グロスターロード駅前のグロッサリーにてビールとコーラを求め、ホテルに帰りて暫し休憩す。崇記旅の疲れから速やかに眠りに陥る。

七時頃彼を起こし、ホテル内のレストランにて晩餐す。窓際の席に座して肉料理を食うに、味美ならず。骨髄のスープの如きは何とも言はれず不思議な味せり。

窓より外を見れば、八時頃まで真昼の如き明るさを呈す。崇記これを興が
り、所謂白夜なりやと問ふ。

食後彼を入浴せしめてベッドに入らしむるに、疲労甚だしきと覚しく直ちに泥の眠りを眠る。さぞ疲れたるなるべし。

八時半を過ぎるころ窓外にやうやく黄昏せまりぬ。晩間、ウィスキーを舐めつつ今日一日を振り返り、日誌を整理す。時差ぼけも手伝ひ脳中茫洋たるを覚ゆ。






 八月廿四日(火)快晴。七時、フロントよりモーニングコールを受けて起床す。パン三個にコーヒー、ティー、オレンジジュースの朝食を取り、八時半にホテルを出づ。

グロスターロードより地下鉄に乗り、グリーンパークにて乗換へ、チャリングクロスにて下車す。途次、車内駅構内ともに通勤する人雑踏せり。

トラファルガー広場に小憩すれば秋天拭ふが如し。

アドミラルティ門を潜りザ・マルの広々とせる並木道を往く。突き当たりがバッキンガム宮殿なり。その数百メートル手前より列を作る人長蛇をなす。何ぞと問へば、宮殿の参観チケットを求むるなりといふ。列の長さに辟易してやむ。

宮殿前の小広場に寝そべれば、異国の天下も太平にして極めて長閑なる気分になりぬ。

更にセントジェームズ公園内に小憩し、スケッチブックを広ぐ。この公園都心にありながら猶閑静にして田園にあるが如し。

ここよりウェストミンスター寺院とビッグベンを訪ふ。

なお、ここまでに感ぜしことには、ロンドンの街は道路を横切らんとして信号余りに少なく、車の間をぬって横切らざるを得ざること多し。よって余儀なく崇記の手を引き、危険を冒して道路を渡りしこと屡々なりき。

英国人は馴れたるものにて、車の通行激しき中をすいすいと横切る状みごとな限りというべし。信号のある場所にても、青赤の別なくチャンスあらば横切らんとす。グレートジョージストリートにて信号を待ちゐたるところ、多くの英国人信号を無視して平然と横切るを驚きの目もて眺めたり。

寺院内を見物するうち時刻は十二時となる。時に時報の鐘音堂内に響き渡り、ビショップによる祈祷始まる。

しばしそを聞きて後、ウェストミンスター橋の袂なる一レストランに入りて小憩す。昨日と同じくカフェテリア風のレストランにて、一階にてサンドイッチとビールとワインを求め、二階に上がりて食せり。

食後ウェストミンスター橋を渡り、対岸のカウンティホールに至る。これ千九百八十六年保守党によりGLC解体せらるるまでロンドン都庁のありし所
なり。今は住む者もなく、かつ人にも公開されずして荒涼たる姿をさらす
のみ。

ここにて崇記便意を催したれば、再び橋を渡り、ウェストミンスター桟橋のトイレにて用を弁ぜしむ。桟橋には恰もグリニッジ行の船発せんとす。ここにて船に乗るも一興と思ひ、また崇記もそれを望みしかば、是非なく切符を
買ひ、船に飛び乗れり。

船はウェストミンスター橋の下を発し、ゆっくりと川を下り、一時間程にてグリニッジに到着す。船より見る両岸の眺めは極めて賞味に耐へたり。隅田川に比すれば親水性に富み、人川とともに生くとの印象を与ふ。

グリニッジの街をぶらつき、公園の小高き丘に上れば、王立天文台あり。中を一瞥す。

帰路はバスに乗らんとて、ダブルデッカーのユーストン行バスに飛び乗り、ホルボーンまでの切符を求めて二階席の最前列に座す。上より街を見下ろす具合にて、崇記大いに喜ぶ。

信号の殆どなき道をバスは猛スピードにて走り回る。そのため揺れも激しく、ころがらんとすること再三なりき。一方車内には案内も何もなく、自分がいづこを走りをるや検討もつかざりしが、そのうち三十分程してウォータールー橋を渡れるに気づき、始めて方向感覚を取り戻して、無事ホルボーンに下車するを得たり。

ここより地下鉄にてピカディリーサーカスに至り、レスタースクエアの一角なる中華料理屋マンフークンに入りて晩餐す。老酒一本と料理七品を注文するに、値〆て五十五パウンドなり。

宿に戻りしは十時頃。崇記くたびれ果てて速やかにベッドに潜りぬ。余はウィスキーをなめつつこの日一日の行動を日誌にしたため、また日中描き流せしスケッチ類に手入れの筆を加ふ。

 八月廿五日(水)晴れて涼し。七時起床。昨日と同じくコーヒー、ジュー
ス、パンの朝食を取り、九時にホテルを出づ。

グロスターロード駅より地下鉄に乗るに、通勤時間を過ぎたるが故か、車内閑散たり。グリーンパーク駅にてピカディリーサーカス駅は閉鎖中なりとのアナウンス流る。急ぎ列車を降り、ジュビリーラインに乗り換へてベーカーストリート駅に下車す。

そこより歩みてリージェントパークに至り、園内を散策す。だだっ広き芝生の公園にて、視界を遮るもの殆どなし。逍遙する者の姿も疎らにして大都会の公園とは思へぬ程なり。

園内を三十分程歩きし後ロンドン動物園に入る。動物園といふより動物があちこちと点在する公園という風情なり。ここもまた歩む者の姿多からず。上野に比すれば極めてのんびりとせる趣なり。

午下、園内のレストランにて昼食をなす。やはりカフェテリアなりしが、ただうれしきことにビールとワインを求め得たり。

一時頃にここを出で、正門前よりタクシーに乗り、大英博物館に至る。ロンドンのタクシーは皆一様に一世代前のロールスロイスの如き形をなし、色は黒塗りが殆どなれど、中には車体一面にべったりと新聞の紙面を印刷せる奇妙なものもあり。呼び止めて自からドアを開け、下りるときは一旦外に出て窓越しに料金を払ふシステム也。余は当初そのことがわからず一々運転手より注意を受く。

博物館入口にて荷物の中身をチェックせらる。ここに限らずロンドンの観光地は荷物の検査を受くること多々あり。ただし入場料を取らざることには感心す。混雑整理と称してとかくに入場料を課したがる日本の風潮と比べ痛快といふべし。もっとも、大英帝国が力を以て世界中より略奪してきたることへの恥じらいの情も与れるなるべし。

館内の陳列品は圧巻なり。とりわけギリシャの壺に感銘を受く。キーツの詩など思ひ起こされたり。如何程時間をかけても見飽くことなしといえど、退屈せる崇記に促されて四時頃館を出づ。

リージェントストリート、シャフツベリーアヴェニューを経て、ピカディリーサーカスに至る。しかしてそこよりタクシーに乗りてボンドストリートを往復し、買物をなす。

六時頃、疲労に打ちのめされて親子二人サーカスの石畳にへたりこみ、街の様子をぼんやりと眺め渡すうち、この国の交通ルールに痛く感心するに至る。歩行者が信号に従はぬことは前より気にかかることなりしが、そは日本的感覚を以て見るからに外ならず。日本にては信号は車のためのもの
にて、歩行者は付録扱なるに対して、この国にては信号は人のためにあるなり。路上の信号はすべて歩行者のためのものにて、歩行者がボタンを押して始めてその色を替ふ。人は車が煩はしくば信号を替へ、さなくばそのままに道を渡る。彼らが信号に無頓着なる所以なり。しからば車の方は如何。彼らは人の替ふる信号に従ふのみ。さなくば自ら車より下りて信号を替ふ。痛快なルールというべし。

ソーホー地区の一画なる英国風レストランアバディーンにて晩餐せし後、シャフツベリー街に面する劇場リリック座に入りて、ミュージカルを鑑賞す。この夜の出し物は「モーといふ名の五人の野郎ども」といひ、六人の黒人による駄洒落と歌のショーなり。劇中観客を巻き込んで共に歌ひ、かつ観客をしてステージに上らしめラインダンスを踊らしむるなど痛快極まりなし。思はず地上の鬱憤を忘れて打ち興じたり。

十時過閉演。劇場前よりタクシーを拾ひ、ただちにホテルに戻る。崇記疲労甚だしきと覚しく、風呂にも入らずベッドに潜り込めり。
時に十一時近くなりき。

八月廿六日(木)晴。七時、アラームコールに起こさる。昨夜朝食のオーダーを忘れたれば、フロントに電話を入れて持参せしむ。相も変はらず堅焼のロールパンとクロワッサンにコーヒーとジュースなり。

九時にホテルを出で、アールズコート駅より地下鉄に乗り、パディントン駅に至る。オックスフォード行の切符を求めてプラットフォームに向かふに、改札口はあらずして直接列車に乗り込みたり。車体は日本の新幹線に相似たる構造なり。

発車後数分にして既に列車は緑多き地帯を走るに至る。時に手入れもされず放置せられたる荒野現出す。沿線に点在する家屋は、多くは古ぼけたる煉瓦造りの小屋やら荒れ果てたる工場やらにて、全体に荒涼たる印象を与ふ。二十数分にしてメイドンヘッドを過ぎてよりは家屋を見ることもなくなり、広大なる牧草地帯を行くが如き心地す。かと思へば森林の現出することもあり。とても大都会の郊外を往くものとは思はれず。これ所謂グリーンベルトなるべし。

十時五十分、丁度一時間にしてオックスフォードに到着す。この駅も改札口なく、切符を改める人もをらず。この国にては乗客の良心に期待するがごく当然のことの如くなり。無賃乗車の横行する日本にては考へられぬことなり

ニューエンドストリートのゴールドショップを覗き、クライストチャーチを訪ふ。二十六あるカレッジのうち最大規模のものなる由。その名のとほりチャペルを併設す。

ここを出づれば十二時半。メインストリートに面するロイズ銀行にて両替をなし、その向かひのハンバーガーショップに入りて昼食をなす。崇記、英国風の食事よりこの方が余程口にあふといふ。

食後マートンカレッジとユニバーシティカレッジに立ち寄る。後者はかのシェリーがかつて学び、放逐せられたる学校なり。植物園に立ち寄り、スケッチをなす。脇を流るる小川にはかつてシェリーも舟遊びをなせしなるべし。

一巡りして駅に戻ればはや三時を過ぎたり。余は当初ここより更に足を延ばしてストラットフォード・オン・エイボンに往くつもりなりしが、既に時間の余裕もなく、かつ崇記は早くホテルに戻りてプールに遊びたしといふ故、このままロンドンに戻る。

往路と異なり略々各駅に停車しつつ、一時間四十分を費やして五時二十
分にパディントン駅に到着せり。ここにて地下鉄の切符を求めんとしたるところ、さる中国娘より早口な中国語もて話しかけらる。余その意を解するを得ず。余は中国語を解さずと英語にて答へしところ、彼女怪しげな英語もて曰く、支那街に行くにはいづこの駅にて下車すればよきやと。余はもとよりロンドンにかかる場所の存在するを知らず。よって余はさることを聞き及びしことなしと答ふるに、彼女如何にも残念との表情を呈して我がもとを去れり。我を同胞と思ひて頼りしに、その期待裏切られたりと思ひしなるべし。

ホテルに戻りて後、崇記を一時間程プールに遊ばしむ。昨日ピカデリーサーカスを過ぎりし際、ミツコシに立ち寄りて水着を買ひ求めたるなれど、競泳用の切込式のパンツにて、どうも小さな子には似合はぬやうなり。その後、アールズコート街のさるイタリアレストランに赴きて晩餐す。



 八月廿七日(金)半陰半晴。風寒し。八時半にホテルを出で、タクシーを飛ばしてハイドパークに至る。

ここもまた広大かつ閑静なる公園なり。サーペンタイン池に沿ひて散策す。池中に遊泳する者あり。公園内の舗道には楓の枯葉散りしき、この地の既に秋なるを感ぜしむ。

公園を出でて後再びタクシーに乗り、ナショナルギャラリーに至りて十時の開門とともに入場す。ここも又入場無料なり。イタリア、フランドルの絵画によきものあり。圧巻はレンブラントのコレクションなり。フランス印象派にも優れたるもの多し。

午下、チャリングクロスロードのとあるインド風レストランにて午餐をなす。米はインディカ種といひ小粒にて細長き形をなし、見た目には白魚の如し。カレーは水っぽく、かつ頗る辛し。

二時頃この店を出で、フォイルズなる書店に入る。書棚を巡り歩くうち、崇記便意を催す。この店にはトイレあらざりしかば、地図を頼りにソーホーガーデンに至り、公衆便所を利用す。

この便所ボックス型にて、二十ペンス硬貨を挿入すれば自動的にドアが開く仕掛なり。ここにて彼に用を弁ぜしめしが、彼中々外に出て来ざりし故、多少心配になりたる折、やっと出てきていふには、水を流すボタンがどれかわからぬと。しかして頻りと中を示せり。よって共に中に入り、あれこれと探せしが、見つからずしていらいらとするばかり。そのうちに順番を待ちゐたる婦人より声をかけられ、ドアを閉めれば自動的に水の出る仕掛けなりと教へらる。何とも奇妙な目に会ひたるものなり。

再びフォイルズ書店に戻り、あれこれと書棚を物色し、いくつか書を求めて外に出でればはや四時なり。

聊か疲労を覚え、崇記もその色に見えしかば、とあるバーに立ち寄りて小憩す。この国にては、大人は昼間よりパブに入るも、子連れにては酒売る店に立ち寄ることかなわぬ由なり。

バーは日本語にいふそれと異なり、客に売りたる食物を店内にて食はしむるものにて、日本にて言ふカフェテリアの如きものなり。とまり木のやうなる椅子に腰掛けて、茶を啜りサンドイッチを頬張る。崇記にはホットミルクとリンゴ一個を買ひ与へたり。

ここを出でて後、タクシーに乗り再びボンドストリートを往復、シャネルショップに立ち寄りて、荊婦に頼まれたる装身具を買ひ求む。

五時、ウェストエンドなるケンブリッジ座に至り「ホットスタッフ」なるミュージカルを見る。ブラックマジックのマニアが戯れから恋人にマジックをかけたる結果彼女を失ふこととあひなり、その行方を求めて魔神たちと交渉すといふ物語にて、ファンタスティックな趣を呈せり。崇記も言葉こそ解せざれ、楽しき雰囲気を満喫せる様子に見ゆ。

一昨夜のミュージカル同様、これも又観客を巻き込み、共に乱痴気騒ぎをなす場面あり。余らは一階中央の前方の席に座しゐたりしが、劇始まりて三十分程経過したる頃、準主演女優たるコケティッシュな女がやおら舞台を駆け降りたりと思ふや、余をめがけて突進しきたり、いきなり抱きつかるるといふ幸運に浴したり。

この夜の観客は皆土地の英国人ばかりにて、小さな子どもを連れたるアジア人が珍しく見え、かくはサービスに及びしものの如し。とまれ右の頬に口紅の跡をつけられ大いに苦笑したる次第なり。

八時頃劇場を出で、黄昏せまるソーホーの街を徘徊して、ジュージロなる日本料理屋に入る。従業員は皆日本人にて、無論日本語も通じ、心おきなき思ひはしたれど、値貴くして味太だ美ならず。店員は食材すべて日本より取り寄せたるものなりとおほいに自慢しをりたれど、材料は国籍をとはず、土地のものの新鮮なるを選びて料理するがよろしかるべし。異国にてまづきものを食はさるるは仕方なしといへど、聊かがっかりせり。

十時近くタクシーに乗りホテルに戻る。余も崇記もやうやう疲労の重なり来れるを感ず。






 八月廿八日(土)曇天。七時に起床すれば、崇記めずらしくいまだ褥中にあり。連日の強行軍にほとほと困憊したるが如し。いつもの如くパンとコーヒーとジュースもてホテルにての最後の朝食をとる。

九時過にホテルを辞し、JTBさしまはしのバスに乗りて、ロンドン南方四十キロなるガトウィック空港に向かふ。オックスフォードへの道と同様、この道も又ロンドンを去ること幾許もなくして市街疎らとなり、やがて完全なる牧草地帯に入れり。グリーンベルトの如何に広大なるかを感ぜしむ。

十時半、ガトウィック空港に到着す。空港内手荷物の検査に手間取り、飛行機の離陸時刻たる十二時直前に出国手続きを終ふ。手荷物の検査は、ここに限らずロンドン中いづこにても神経質の限りを極めたり。

英国はここ数年北アイルランド独立を目的とするIRAなる組織が政府と対立し、テロルに訴ふることたびたびなりしといへば、日常市民の動向にかく神経を尖らすもやむなきことといふべきか。

十二時離陸。二時に昼食を供せられて後は機内暗黒となる。目的の地は既に夜となれるべければ、多少なりとも時差に備ふるべしとの配慮と覚ゆ。もっとも消灯後数時間の間は眠れる者はさほど多からざりしが如し。殆どの者が眠りにつかんとする頃却って再度の食事の供応あり。皆時差の疲れのため、とても食するどころにあらず。

 
 八月廿九日(日)ロンドン時間深更一時(香港時間午前八時)、ガトウィック空港を飛び立ちてより十三時間を経て啓徳空港に着す。

ここにてトランジット便を待つ間、免税店にて買物をなし、喫茶店にて休憩をとる。いづこにても日本円のまま支払ふことを得たり。またおほむね日本語も通用せり。

十時啓徳空港発。十二時昼食を供せらる。全く食欲を覚えず。崇記は聊かばかり手をつけたり。

十四時過(日本時間十五時過)成田に着陸す。入国手続を終へ到着ゲートを出づれば、荊婦出迎へに来りてあり。余らの不在中、関東地方は台風に見舞はれ大騒ぎなりし由。


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