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山谷:東京風景写真 |
山谷地区は 徳川時代の昔から奥州街道沿いに木賃宿が 立ち並んでいたといわれます 明治・大正期には労働者が 集まり住む街としてスラム化が進みますが 太平洋戦争の終戦を契機に劇的な変化をとげます 戦災で焼け出され浮浪者となった人々を対象に この地にテント村が作られ 戦争難民を収容する政策が進められたのです その後 テントは簡易宿泊所へと模様替えし そこに全国から職を求めて上京してきた日雇い労働者が 集まり住むようになりました オリンピックを前に好況にわいた時代には 220軒ほどの宿に約15000人が宿泊していたといいます しかしバブルがはじけると共に 仕事につけない人々が増加し 宿銭を払えないものは路上へとはみ出るようになりました 東京におけるホームレスの問題は 多く山谷から発しているのです 山谷の街を埋め尽くしていた多くの労働者たちは 日本経済の沈下にともなって 職を失い 山谷から姿を消した人々の数は相当のものになります それに伴って かつて活気に満ちていた山谷の簡易旅館街も 火を消したようにさびしくなってしまいました 簡易旅館はみな経営が苦しくなり 建物も荒れた外観のものが増えています かつての山谷の宿は カイコ棚と呼ばれるような 相部屋形式のものが主流でしたが いまでは このように個室でなければ客はきません 4畳半テレビ付きで一泊二千円前後というのが標準的な相場です 簡易旅館の組合 古くて傾きかけている建物も散見しました 山谷の一角に希望の家と称する施設をみかけました 生涯の最後を迎えた人々のためのホスピスだといいます 山谷には身寄りの無い老人が多く 誰にも見取られないまま死んで行く人も多いとやら それらの人々のために 私財をなげうって看病しようという人がいるのは 世の中まだまだ捨てたものではないかもしれません 山谷の中心部にあるアーケードの商店街 こちらは日雇い労働者向けに作業衣を売る店 吉原 | 日本堤 | 山谷 | 南千住 | 北千住 |
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