鏑木小路・武家屋敷(25×34cm 2005年10月)

佐倉の町は馬の背中のような細長い台地に沿って展開している。台地の西の端には佐倉城が、今は歴博に姿を変えてたたずみ立ち、その東側には武家屋敷地と町屋が連なっていた。新町と総称されるこれらの町屋群は、仲町、横町、間の町といった小さな単位に区割りされている。面白いことに、これらの町々の周辺部は北も南も鏑木という地名が付されている。いわば馬の背中が新町で、両脇腹が鏑木といった形である。これは鏑木という広い土地の中に新たに城下町が形成されたために生じた現象だと解される。

摩賀多神社のある宮小路の南側にも鏑木の一部がある。通称を鏑木小路という。かつては中級家臣団の屋敷地だったところである。市当局は市内各地に残っていた古い武家屋敷を何軒かここに移築再現して、観光の目玉に仕立てた。その甲斐あって、休日には散策のついでに訪れる客も多いという。いずれの屋敷も簡素な作りで、往時の武家の生活のつつましさを伝えている。






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