聖路加病院(34×25cmヴェランアルシュ 2006年3月)
築地がかつて外国人居留地だったことは意外と知られていない。安政の条約によって横浜をはじめ5つの港が開かれ、それぞれに居留地が設けられたことは、誰もが歴史の授業で学んだに違いない。江戸は開港場ではなかったが、貿易の便宜のために開市場を設けよという諸外国の要求が強く、維新後の明治2年、築地に開市場と居留地が設けられたのである。
築地が選ばれたのは、横浜に近かったことと、四方を水によって囲まれた租界向きの土地だったからに他ならない。この一角に、横浜ほどではないが、外国人が住み、洋館が立ち並んだことは想像に難くない。それらの殆んどは明治32年の条約改正後廃されてしまったので、今日その面影を見ることはない。しかし、築地教会や
聖路加病院は、こうした歴史的経緯を思い出させる証人のような建物なのである。
聖路加病院の前身は、外国人居留民を相手にした病院であったという。明治35年に、その建物をアメリカ人宣教師ルドルフ・トイスラーが買い取り、診療を始めたのが聖路加病院の始まりである。そもそもあった建物は関東大震災によって消失してしまったが、昭和7年に建てられたという現存の建築物は、尖塔に十字架を戴いた姿がなかなか絵になる風情を見せてくれる。
[東京を描くHP]