日本堤の天麩羅屋(28×35cmヴェランアルシュ2006年7月)
浅草の北部
日本堤のあたりを、土手通りという広い道が通っている。かつてこのあたりを流れていた
山谷堀を埋め立てて広げた道である。荷風散人が墨東忌綺譚を書いた昭和の初期には堀はまだ健在で、狭い水路にいくつも橋がかかり、土手の北側に平行して片側街が続いていたとある。
この道は、今戸と三ノ輪の間2キロほどの短い距離にすぎないが、その中ほどには
吉原の大門跡とされる場所があり、いまでも都バスの停留所の名称として残っている。吉原は申すまでもなく、江戸・東京有数の遊興空間として、昭和の半ば頃まで栄えたところだ。いまは殆んどその面影を残すことなく、見返り柳と称する街路樹にわずかに歴史の手がかりを伝えるのみである。
土手通り沿いの、見返り柳の向かい側に、絵にあるような古びた木造の商家が二軒並んで立っている。手前に見えるのは、土手の伊勢屋として知られる天麩羅屋。開店前から行列のできるほど人気のある店だそうだ。その先に中江とあるのは、明治38年創業という桜鍋の店。かつてこの界隈には馬肉を売る店が多かったということである。