四方山話に興じる男たち
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ハンブルグ市内:独逸四方山紀行



(ハンブルグ港)

六月廿三日(金)六時起床。窓外細雨煙の如し。昨日の日記を整理して後七時半、食堂にて朝餉をなす。レセプション脇の小さな食堂にて、ドイツパンと生ハム、ゆで卵とヨーグルトを供さる。入口の扉脇には新聞各紙を置きたれど、いづれもドイツ語紙にて、英字紙はなし。

八時半ホテルを出づ。この日は一日かけてハンブルグ市内を巡り歩かんと欲す。まづダムトーア駅より地下鉄に乗りランドゥスブリュッケ駅に至る。エルベ川沿ひに開かれたる港湾を臨むところにあり。



駅よりエルベ川に至る間に一の橋あり。すなはちランドゥスブリュッケなるべし。この橋の欄干に夥しき数の鍵結び付けられてあり。そのさま、日本の神社の絵馬に似たり。絵馬といへば学業成就祈願を想起せしむれど、ここなる鍵は恋愛成就を祈願する由なり。

エルベ川の港湾施設を一望す。この港湾、川沿ひに築かれたる内陸型港湾としては世界最大の規模なり。もっとも内陸型といひても、河口に近ければ半ばは海岸型といひて不可ならず。陸地より対岸、エルベ川沿ひの港湾風景を見るに、造船所らしき施設連なり、自づから尾道の風景を想起せしむ。余そのことに言及したるところ、岩子言ふ、これはドイツの尾道なりと。



連絡船に乗り港湾の光景を海上より眺望す。右手にはハンブルグ内地の港湾光景、左手にはエルベ川の埋立地に設けられたる港湾風景拡がり、すこぶる規模の雄大さを感ぜしむ。船上にはドイツの若者多く同乗せり。



アルトナ地区にて下船。川沿ひに歩むに、Uボートの船体海上に係留せられたるを見る。船体さして大ならず。この船に数十名の乗組員を擁し、世界の海を潜水せしとは、なかなか思ひ浮かばざるなり。



アルトナの市街を見歩く。ベルリン市街に増して落書の多きを見る。ドイツはいづこにても落書を見ざるところなきが如し。まさに落書天国といふべし。



ヘルベルトシュトラーセを歩むに、ザンクトパウリ地域なるところに踏み込む。谷子言ふ、これは独逸有数の赤線地帯なりと。地域内もっとも糜爛する場所をリーパーバーン地区といふ由。谷子路上の老人を捕へてそこへ行く道の案内を乞ふ。老人憮然としてその方角を示す。しかして、いかがはしきものを見るが如き目つきをなす。



リーパーバーン地区の入口に扉あり。解放せられたれば踏み込む。余は躊躇したれど、他の三子内部を見んことを固執したればなり。彼らの剣幕に余思へらく、好色日本老人独逸の遊郭を闊歩す、と。さる楼閣の窓に、客を引く女の影を見る。谷・浦の両子その女に引かれて近寄らんと欲す。余とっさに引き止めたり。しかして説教していはく、老人は老人らしくふるまふべしと。もっともこの女の影は人形と判明せり。



サンクトパウリ地域の一角にグロッセ・フライハイト36なる酒場あり。往年若きビートルズが演奏せる店といふ。案内書にいはく、若きビートルズのメンバー五人、1960年代の初頭に、ここハンブルグの酒場にて素晴らしき産声をあげしなりと。



この界隈に、ビートルズを模したる仕掛けを見かけたれば、それを背景に記念撮影をなしをるに、初老のドイツ女一人近寄り来る。しかして、余らに向かって微笑を向けつつ言ふ、汝らはビートルズを愛するものの如し、妾もまたしかり、と。



またタバコの自動販売機を見かけたれば、価を確かむるに、最も廉価のものにして、20本入り一箱6ユーロ60セントなり。日本のそれの倍なり。

近くにてタクシーを拾ひ、アルトナの中心市街に至り、谷子の知人が経営すといふ社会教育施設を訪問す。名称をモッテといふ。ミハイルなる初老の男性、余らに施設内を案内す。谷子ミハイルに余らを紹介するに、これらは吾輩のウニコレーゲなりと言ふ。大学時代の友人の意なり。

このモッテなる施設は、青年の社会教育を中心に、老人の社会参加活動やら幼児教育まで手がけをる由。ミハイル氏いはく、我々は二歳から九十六歳までの人間の面倒を見をるなりと。

質疑の合間に、余、谷子を通じて、独逸の街に落書の多き所以について所見を問ふ。ミハイル氏曰く、これはドイツ社会の分断を反映せる現象なり。社会の分断が若者を相互に疎外せしめ、社会全体に対するレスペクトの念を失はしむるなり。それが落書といふ形をとりて現はるるなり、と。

ついでグリートといふ初老の女性と歓談す。この女性民族間の融和をテーマにする由。しかして民族の融和は、言ふはやすく、行ふは難しと実感す、といふ。彼女のテーマは、Sound in the silence なる由。物事を探求するに声高を以てせず、沈黙のうちに確実に物事の本質を掌握すべしとの思ひを込めたる言葉といふなり。

辞去後タクシーに乗り、グローサー・ミハエル教会に至る。車内、女運転手昨日の嵐について語る。いまだかつて見聞したることなき雹を見たりといふ。昨日はタクシーもまた混雑せり。客の中にベルリンに帰れず途方にくれしものあり。ホテルの紹介を求められたれど、ホテルはいづこも満室なれば、気の毒のあまり、自分の家に泊めたりと。



グローサー・ミハエル教会にては、折しも市民演奏会催されてあり。二階たまり場にて小管弦楽団バロック音楽をしんみりと演奏し、一の若者テノールもて賛美歌を歌ひたり。会席せる多くのドイツ人陶然と聞きほれてあり。余、ドイツ市民の宗教音楽への執着を感じたり。ドイツ人は、子どもの頃よりかかる教会音楽を聴いて育ちたれば、大人になりてもその音に敏感に反応すなるべし。



教会近隣の Old Commercial Room なる店に入る。創業1795年の老舗なり。ここにて浦・岩の両氏は Labskaus なる料理を食ひ、谷子はうなぎのスープを食ふ。余はサーモンステーキを食ひたり。Labskausは獣肉をミンチにしたるものにて、外見上はゲロを見るが如し、と谷子の言葉にあり。余の見立には、なめろうに似たり。


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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2016-2017
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