四方山話に興じる男たち
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モスクワの雲助タクシー:ロシア旅行の思い出


ロシアに旅するにあたっては治安の悪さがよく指摘されるが、小生たちもやはりその治安の悪さの犠牲になった。その二三の例を紹介したい。治安が悪いという印象はその国にとって不名誉であるのみならず、旅行者にとっては災厄というべきなので、先進国を標榜する国においては、最優先に解決すべき課題である。

小生たちが蒙った災厄の最初のものは、雲助タクシーにぼられたことだ。ロシアでは、日本などとは違い、タクシーはメータ制をとっていない。客がドライバーと交渉してその場で料金を決める。それゆえ言葉が不自由な外国人観光客には、安心して利用できないという噂があった。そこで小生は、タクシー配車サービスを利用してタクシーを呼ぼうとした。これはヤンジェクスの配車サービスというもので、車のナンバーや料金をあらかじめ教えてくれる。だから客は安心して乗車できる。このサービスを使ってタクシーを呼んだのはいいが、とんだ勘違いから、たまたま来合わせた流しのタクシーを、呼んだ車と取り違えて乗ってしまった。ところがそのドライバーから法外な料金を請求されたのである。

小生は当然ドライバーの要求に納得せず、そこで口論になったが、なにせ相手はロシア語しか話さず、小生のロシア語はかゆいところまで手が届くまでには至らないので、話はスムーズに進まない。そのうちドライバーが雲助の本領を発揮して、小生を恐喝しにかかる。というわけで、この場でこれ以上争いを続けるのは不都合な事態になるやもしれぬと判断し、ドライバーの要求を容れることにした。

このドライバーは、小生らが小柄でお人好しな外国人と踏んで、カモにしてやろうと思ったのだろう。こうした雲助ドライバーはかつてロシア名物とも言われたらしいが、最近では、特にワールドカップをロシアでホストしたこともあって、なくなったとも言われたのが、実はこのとおり、いまだに横行しているわけである。

こんなわけであるから、ロシアに旅行する人は、街の中で流しのタクシーを拾うようなことはしないほうがよい。小生の場合には、たまたま勘違いから流しのタクシーに乗りこんでしまったのだが、配車サービスどおりに乗っておれば、こんな不愉快な目には合わなかったと思う。

治安の悪さの二つ目の例は、すりの被害にあったことだ。これはエルミタージュ美術館を訪れた際に、同行者の一人が人混みの中でバッグから財布を抜き取られた。当人の言い分では、どうも単独の犯行ではなく、複数人による犯行の可能性が高い。どちらにせよ、お人よしの外国人をカモにしてやろうという魂胆は、先の雲助ドライバーと同列なので、これもまたロシアの治安の悪さを象徴するような例だと思う。

また、たまたま入ったレストランでは、注文していない料理を出されたうえに、それを喰って金を払えと要求された。これはおそらくウェイトレスの勘違いから発したことだと思うのだが、店の責任者は自分たちの非を認めず、高飛車な態度で支払いの要求を繰り返した。このケースでは最終的には我々の主張が通ったが、事態が収まるまでに一時間以上を要した。こんなことは日本では到底考えられないことだ。

次に、これは治安の悪さというよりも、ロシア人の外国人嫌いの例というべきかもしれないが、ペテルゴフの離宮を訪ねた際に、同行者の一人が過って出口から出てしまった。そこで小生は守衛に向かって事情を説明し、すぐ中に入れてくれるように頼んだのだが、守衛は断固として聞かず。いったん外へ出たからには、改めて入場券を買わなければ再入場は許さないというばかり。その表情には、我々外国人に対する侮蔑のようなものも感じられた。

これらは極端な例で、多くの場合、我々の接したロシア人は親切だった。小生などは数えきれないほどロシア人に話しかけたが、そのたびに親切に応じてもらった。いやな顔をされることはほとんどなかった。時には、こちらの質問に手取り足取り答えてくれたうえに、手助けまでしてくれた。そんなわけであるから、雲助タクシーを始めとしたいかがわしい連中が、ロシア人の印象を損なっていることが残念である。

別の話題に移ろう。ロシアはいまプーチン政権のもとで国際的に孤立を深め、その結果経済状態もよくないと言われているが、街を歩いていてそのことを感じさせられるのは、社会資本の状態だ。とくに道路の状態がひどい。損壊したまま放置された道路があちこちで見られた。これは財政難のために公共事業が進んでいないことを反映しているのであろう。

ロシアの都市、とくにモスクワを歩いていて強く感じさせられるのは、人間らしい表情が街に乏しいということだ。道路には横断歩道が極端に少ないので、歩行者は眼の前の目標にたどり着くにも大回りをせまられる。また、ヨーロッパの諸都市では路上のカフェを至る所に見かけるが、モスクワでそれを見かけたことはない。サンクト・ペチェルブルグでは、ネフスキー通りのような大通りでいくらか見かけたが、数は至って少ない。路上カフェは、都市に人間らしい表情をもたらすものだけに、それがないということは、それだけ人間的な匂いが都市に乏しいということではないか。

一方、地下鉄については、モスクワもサンクト・ペチェルブルグも非常に利用しやすかった。ロシアの地下鉄は、複数の線が交差する駅では、線ごとにそれぞれ違う駅名を使っていたりして、表面上はこうるさいのだが、実際に使ってみると、スムーズな接続ができるようになっているし、また駅の構造も分かりやすい。その点は日本の地下鉄が見習うべきほどである。

ロシアの都市、モスクワとサンクト・ペチェルブルグは、エンタテイメントにもすぐれている。オペラやバレーといった伝統芸術はサンクト・ペチェルブルグのほうが盛んなようだ。ロシアを訪れた際には、こうしたエンタテイメントを適当に組み入れることで、より豊かな旅を楽しむことができるのではないか。



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