四方山話に興じる男たち
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奥ゆかしい自己分析を聞く


前回の四方山話の例会で、自分史の割り当てが一巡したところで、次は銘々が自分の好きなテーマについて勝手にしゃべる機会を持とうということになったところだが、一年下の世代の梶子が、私にも自分史をしゃべらせて欲しいと言い出したそうで、今夜(六月二日)は彼の話を聞くことになった。

いつものように会場の古今亭についてみると、石、浦、小、六谷の諸子が来ていて、なにか熱心に話している。何を話しているのだいと聞くと、最近世間を騒がした某旅行会社の倒産事件に石子が巻き込まれ、代金として支払った数十万円の金が戻ってこないということだった。それはとんだ災難だったね、と言ったところが石子は、いままであの旅行会社については何度か格安で利用したことがあり、かなり得をした、トータルで計算すればトントンになるはずだから、たいして悔しくもないよ、と涼しい顔をしている。おそらくあきらめのよいたちなのだろう。

そうこう言っているうちにメンバーが揃った。筆者のほか、福、七谷、柳、六谷、岩、梶、小、石、浦の諸子あわせて十名である。梶子が用意してきたメモを配る。A4一枚のレジュメのほか、A3で14ページにわたる詳細な年表が添付されている。これまでの中では最大規模の資料だ。その資料にもとづいて梶子が自分史をしゃべりだした。

私は、さる中堅の素材メーカーに入った。先日話したように、家族的な雰囲気の企業で、経営者の一族に政治家が多い。もともとは繊維関係の企業だったが、戦後、科学系の素材産業に領域をひろげ、その分野では日本をリードする企業になった。要するに発展途上的な開かれた企業体質があったわけで、自分もそんな雰囲気を楽しみながら、のびのびと生きることができた。

しかし自分には出世する能力が欠けていたようだ。同僚や目下に対しては可愛くない傲慢さ、上に対してはごますりもできない不器用さ、そんなことが災いして偉くなれなかった。そう梶子が言うので、筆者などは、そう厳しく自己批判しないでもいいじゃないかと思ったくらいだ。ごますりも能力のうちだから馬鹿にはできないが、しかし、ごますりが出来なかったからといって、自分を情けなく思うことはないだろう。

ともあれ、五十になったところで本社を追い出され、さる企業に出向させられた。そこでは自分なりに気をくばり、今まで大過なくやってこれた。トータルで考えれば、自分なりに満足できる生涯だったと思っている。

この後、梶子は、膨大な年表に沿って、自分の個人史を補強したのだったが、その内容があまりにも詳細に渡っているのが皆の感心の的となり、そんなに詳しく覚えているのは、日記でもつけていたのかね、と小子が訪ねたところが、いやそうではない、と言う。記憶力がいいらしいのだ。すると六谷が口をはさんで、それだけすばらしい記憶力の持ち主なら、我々の学校にはもったいなかったね、と批評した。

六谷は引き続きいろんな感想を述べたのだったが、そのついでにこの場を仕切り始め、まず福子に向かって、梶子の生き方について感想を述べるよう求めた。すると福子は、俺はモノづくりの仕事に興味を持っていて、できたらメーカーに就職したいと考えたこともあったので、梶子の生き方は素晴らしいと思うよ、と言ったのだった。その言い方がいかにも羨ましそうに聞えたので、筆者は、福子だって思想を作るという点では、モノづくりみたいな仕事だったわけだから、幾分かは自分に満足していいんじゃないか、と感想を述べた次第だ。

その後、梶子の話を外れて、とりとめのない話題に興じた次第だが、その話の中で現在の日本の政治が話題にのぼり、こんなにスキャンダルが続いていても、安倍政権は一向に支持率が下がらない、いったいどうなっているのかね、という話になった。それはメディアがだらしなくなったからさ、とこれはメディア人の浦子が他人ごとのように言うので、アメリカのメディアはトランプを追い詰めて頑張っているじゃないか、だらしがないのは日本のメディアだけだろう、と言ってやったところが、浦子は反論をしなかった。

また、日本人の祖先について話題となり、日本人は、縄文人や弥生人をはじめさまざまな民族が混血して出来上がったというような話になった。そこで筆者は、人相学のことを持ち出して来て、日本人の顔を見れば、だいたいその人の系統がわかる、と言った。どういうことだとみんなが言うので、たとえば、柳子や福子のように目が細くて鼻が出っ張った顔は北方系の顏だ、北方系と言うのは、基本的には縄文人の系統だ。それに対して、浦子のように目がパッチリしていて鼻が引っ込んでいるのは、南方系の顏だ。南方系というのは、基本的には弥生人の系統だ。そう言ったところが、じゃあお前の顏は何系だと聞かれたから、俺のように目が細くて鼻が引っ込んでいる顔や、七谷のように目がパッチリして鼻が出っ張っている顔は混血だと考えてよい、と答えた次第だ。

四方山話が一段落したところで、石子が前回の確認事項について触れ、次回は是非柳子に映画のことでも話してもらいたいと提案した。柳子のほうは、前回の会合に参加していなかったこともあり、いまひとつ趣旨が呑み込めていない様子だったが、もし自分が映画を語るとしたら、それは自分が一方的に話すのではなくて、みんなで一緒に同じ映画を鑑賞し、それについて論じ合うというようなやり方をしたいと言い出した。そこで、どんな映画を見るか等々について柳子から改めて提案してもらおうということに落ち着いたが、とりあえず次回の例会では、これから一部の連中がやるというドイツ旅行の報告でもしてもらおうじゃないかということになり、そのレポーター役を七谷が勤めることとなった。

こんな具合で、今夜は梶子の奥ゆかしいとも言える自己分析を聞きながら、銘々が勝手なことを言いあって、夜の更けるに任せた次第だった。



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