四方山話に興じる男たち
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農業政策論を聞く


梶子の会社のお座敷を借りてすき焼きを食ったのは一昨年の七月のことだったが、あれからまる二年ぶりに再びお邪魔することとなった。今回はしゃぶしゃぶを振舞われた。集まったメンバーは梶子のほか、浦、岩、石、六谷および小生の合わせて六人。そのほか柳子が参加するはずだったが、急に体調を崩したと言って欠席した。それもわざわざこの会場までかけつけて、会費を払ったうえで欠席の不礼をわびるという念の入れ方だったという。今回しゃぶしゃぶを食うことになったのは、柳子の強い要望を考慮したうえでのことだったので、柳子としても多少の責任を感じたのだろう。それにしても、折角会場までやって来たのだったら、箸をつけてもよさそうなものを、と皆で言いあったのであった。

今宵のレポーターは石子がつとめた。テーマは農業政策論である。戦後日本の農業政策の変遷を諸外国と比較しながら論じるというものだ。その論点として石子は、1961年に制定された農業基本法の理念に手がかりを求めた。その理念は三つある。農工間所得格差の解消、農業構造改革、選択的拡大だ。うち農業構造改革は農業経営の大規模化をめざし、選択的拡大は小規模農家の切り捨てを意味する。石子の認識としては、戦後日本の農業政策はこれら三つの理念にそって進められ、しかもその実現に成功したということだ。

こんなことを言われて小生などはある程度のショックを受けた。というのも小生には日本の農業政策が成功したとは決して言えないという思いがあるからだ。その思いを突き動かしているのは、日本の食料自給率が先進国のうち最低で、それは農業政策が軽視されて来た結果だという認識があるからだ。その認識はほかの連中も共有しているようで、石子の認識には異議をとなえざるをえないところなのだが、石子は我々のそうした認識をあざ笑って、諸君は日本農業について誤った認識をしていると断言するのだ。

石子が言うには、食糧自給率にこだわるなら、徳川時代の食料自給率は百パーセントだった、にもかかわらず飢えていたのは、農業政策を食料自給率に還元できない証拠だ。もっと広い視野から見る必要がある。第一食糧自給率に拘っているのは、先進国では日本だけだ。そう言うので小生は、ほかの国はそれなりに高い自給率を達成しているので、ことさらに言い立てる必要がないからだろう。日本の場合には惨憺たる数字で、このままでは安全保障上重要な支障があるからこそ、食料自給率を云々する必要があるのではないか、と反論したところ、石子はそれは甘い見方だといった具合で、小生の意見をまともに取り上げないのであった。

日本の農業政策がそれなりに成功しているとして、では日本の農業の未来は明るいのか、という問いかけに対しては、石子は、正面から答えることはせず、日本の農業はいまでも過保護すぎると主張した。過保護の内容は大部分が補助金からなるが、日本の農業補助金の割合は先進国のなかでも突出している。だから、今後はそれを増やす必要はないのみならず、補助金を中心とした農業政策自体を見直す必要がある、というような考えも述べた。小生などは、いまでも補助金を中心とした農業支援は十分ではないと考えているので、石子のこうした考えには違和感を覚えたところだが、石子はそんな小生の違和感などまったくナンセンスだといわんばかりである。

石子が補助金中心の日本の農業政策に批判的なのは、政治的な理由もあるようだ。石子の認識によれば、日本の農業者は非常に保守的で、自民党の強い支持基盤となって来た。そういう状況のもとでは、農家に補助金をばらまくことは、自民党の政権基盤の強化に寄与するだけだ。そういう構造を変えなければならない、そんな思いがあって石子は、農業基本法に盛り込まれた日本の農業政策の理念にノオを突き付けているふしがあると見えた。

実際石子はレジュメのなかにマルクスの次のような文章を引用していた。「1848年12月10日は農民反乱の日であった・・・農民が革命運動に入って来たことをあらわす象徴、不器用で狡猾、ならず者的で素朴、愚鈍な崇高さ、打算的な迷信、悲壮な茶番、独創的でとんまな時代錯誤、世界史的悪ふざけ、文明人の知力では解き得ない象形文字、こうした象徴は、文明のなかで未開を代表するこの階級の相貌を、紛れもなく示していた」(「フランスにおける階級闘争」1850年)

こうした言葉によってマルクスは、1848年の革命騒ぎにおける農民の反革命を糾弾しているわけだが、その農民を作り出したのはフランス革命だった。フランス革命によって自作農になった膨大な農民の階級が、その後のフランスの歴史を、保守反動の方向へ牽引してきたとマルクスは見るのだが、その見方とまったく同じものを、戦後のGHQも持っていた。かれらはフランス革命の教訓を踏まえて、日本を反革命の砦として作り直すには、生産手段の所有者たる小規模自作農を大規模に作り出す必要があると考えた。そのかれらの考え方は実に大きな実りをもたらした。日本はそれによって、自民党による事実上の一党独裁体制を堅固なものにしたのだ。

石子としては、こうした政治のあり方を打破するためにも、農業政策を作り直して、農業も又工業と同様に近代的な知識・技術を駆使し大規模化を進める必要がある、と考えているようである。

こんなわけで今宵の四方山話はかなり論争的な色合いのものになった。しかし我々は論争にうつつを抜かしてばかりいたわけではない。群馬産の牛肉をしゃぶしゃぶにして、それを肴にうまい酒を飲みもしたのだった。

散会後は、石、浦、岩の諸子と後楽園内のブリティッシュ・バーに入り、ジャック・ダニエルスのソーダ割を飲みながらロシア旅行の打ち合わせの続きを行った次第だった。



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