四方山話に興じる男たち |
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四谷荒木町で枯葉を歌う |
四方山話の会十一月の例会は、忘年会を兼ねて曙橋の中華料理屋峨眉山で開催した。会する者は小生のほか、石、浦、越、小、六谷の合わせて六名。今宵は特にテーマを決めず、銘々勝手なことを話そうといって始まったが、それぞれがてんでに勝手なことを話すのでまとまりがない。わずか六人の会話なのに、話題は幾筋にも交錯して焦点が定まらない。そこで小生は、だれかにスピーカーをつとめさせ議事を仕切らせてはどうかと提案したが、その必要はないといって、てんでんばらばらな会話があちこちで交錯することとなった次第である。 小生は自分の右サイドにいる小、六谷の二子と料理の皿を共有しながら会話を楽しんだ、小子はベトナム暮らしが長いので、ベトナムに旅行するとしたらどんなところを見たらよいかねと問うと、やはりホーチミンがいいだろうという。そのほか、中部のダナンなどもよいそうだ。すると、六谷子が口を挟んで、ベトナムにはメコン川という川が流れているそうだが、これはラオスのほうから流れて来るのだろうというので、いやメコン川は中国の山岳地帯から流れてくるのだよと教えてやった。ホーチミンは昔はサイゴンといって、メコン川の河口のデルタ地帯に展開しているが、おれがベトナムにいた頃は、この川に浮かぶ船がホテルをやっていた、と小子がいうので、じゃあトイレは船から川に垂れ流しかねと聞いてみたところが、そうだと言う。まともに聞いてよい話なのか、それについてははっきりしない。 そのほか話題は多岐にわたった。まづ、今世間を騒がせているゴーンの件について。これは検察が朝日に書かせて世論を煽っているのだろうと六谷子がいうので、世間が騒ぐのはよいが、この件で日本の刑事司法手続きの特異性があぶりだされ、世界じゅうから批判されるおそれがあるから、よほど慎重にやったほうがよいと、小生は感想を述べた。ゴーンを籠池と同じように取り扱ったら、世界中から非難を浴びるのは目に見えている。 論争的な色彩を帯びたのは、政治的な話題だった。いまの政府の抱える借金が、いずれ日本が破綻する原因になるだろうと小生が話したところ、小子は、いやそんなことはない、なぜならその借金は日本国民が負担しているからだ。いわば自分のなかで、右から左に金をつけかえているわけだから、自分自身が破産することはないという理屈だった。小生は、いやそれはあまい見方だ、政府の借金は、同一の人格のなかでの金のつけかえなどではなく、政府という人格が国民から金を借りているわけだから、それを踏み倒されては貸した国民がひどい目にあうことになる。そういって小子を批判したところ、破綻するとしても当分先のころになりそうだし、その時には我々は生きてはいないだろうと、これは六谷子が気楽なことをいう。すると、我々の世代はまだ当分死なないよ、おそらく百十歳くらいまで生きるのではないか、と小子が言うので、我々の世代が生きている間に、百歳以上の老人が五十三万人に達するという試算もある。つまり我々の世代のうち、その数の人間が百歳以上生きるわけだよ、と小生が補足した。 その後小生は、左手にいる石子や浦子とも話を交わしたが、二日酔いのせいもあって、よく覚えていない。だがそのうち、越子と小子が論争になって、声高にやりとりを始めた。論争の種はどうやら日本財政の未来のようだった。その話題がなぜ彼らを論争に駆り立て、熱くならせたのか、そこのところはよくわからない。この二人は、いつもは冷静なので、よほど機微にさわることがらがあったのだろう。 この日は、それぞれ生ビールを飲んだほかに、紹興酒を三本分飲んだのだが、それでも飲み足りないと見え、浦子が皆を二次会に誘った。ロシア土産に買ってきたウォッカがあるので、それをバーに持ちこんで皆で飲もうというのだ。そこで、四谷荒木町のさる小さなバーに席を移し、小子を除く五人が浦子の持ってきたウォッカを飲みながら、歓談の続きをした。 そのバーは、初老の婦人がひとりできりもりしていた。決して美人とはいえないが、なかなかよい雰囲気を漂わせている。壁に女の写真が貼ってあったので、あなたの若い頃の写真ですかとたずねたところ、そうだという。なかなかよく撮れた写真で、これだけ見せられたら美人と受け取るに違いない。しかもその雰囲気が独特で、小生などは、大江健三郎の小説にでも出てきそうな感じがすると受け取ったほどだ。 ここにはカラオケの装置があるそうで、幸いほかの客もいないことだから、みな一曲づつ歌おうではないかと浦子が提案した。ママは昔ジャズをやっていたというから、おれはホワット・ア・ワンダフル・ワールドでも披露しようかといったところ、どういうわけかママがその歌を歌い始めた。そこで所在ない仕儀に立ち至った小生は、じゃあロシア民謡をロシア語で歌おうといったところ、ロシア語の歌詞は入っていないという。なら、フランス語の歌詞は入っているかねと聞いたところが、入っていると言うので、イブ・モンタンの枯葉を披露しようといい、バック・ミュージックをかけてもらった。そこで小生得意のフランス語のシャンソンを披露した次第だが、酔いで喉がもつれていることもあって、声がうまく出てこない。聞いている皆には、どうも迷惑そうであった。 続いて石子や越子も歌ったが、石子の声はフランク永井の声に似ていて、声だけを取り上げれば、なかなかのダンディぶりだった。 こんな具合で、今宵の忘年会は、いつもとは違った雰囲気のものになった。小生は、多少飲みすぎたようで、酔いが翌日の遅くまで残ってしまったところだ。 |
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