四方山話に興じる男たち
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経済的側面から見た自由と民主主義を語る


四方山話の会の全体会をおよそ半年ぶりに催した。会場は例の通り新橋の焼き鳥屋古今亭。集まったメンバーは八名。その中には初めて出席する神子も含まれていた。その神子と小生のほかに、赤、柳、梶、石、浦、岩の諸子が参加した。神子とは学校卒業以来はじめて逢うので、実に半世紀ぶりのことだ。

今夜は梶子の講演があらかじめ組まれていたので、まづは梶子の話を聞くことにした。演題は「経済的側面から見た自由と民主主義」。梶子なりに考えている自由と民主主義の関係について論じたものだった。梶子は民間企業で活躍し、日本の資本主義に強くコミットしてきた体験を生かし、企業家的な見地からこの問題を論じた。その説を聞くと、納得できるものもあるが、首をかしげるようなところもあった。たとえば、民間企業といえども利益追求だけではだめで、社会的責任を果たすべきだというドラッカー的な意見には納得できた一方、企業内の意思決定にあたっては、労使が意見をかわしあい、場合によっては民主的な運営をすべきであるという意見には首をかしげざるを得なかった。企業の意思決定というのは、すくなくとも日本のような資本主義システムにおいては、経営者の専決事項であろう、それに一般の従業員もかかわるというのは、ドイツのような例はあるとしても、基本的には空論の域を出ないだろうというのが、小生の意見だ。

それはそれとして、梶子の話の中には、渋沢栄一と岩崎弥太郎の比較とか、日本のベンチャー企業を立ち上げて成功した人々を高く評価するなど、経営の実践に着目した見方が随所にあった。さすが日本の資本主義を担ってきた人材がいうことだと感心した次第だった。

梶子の講演を踏まえて、皆それぞれに所見を述べた。メンバーのうち、民間企業で生きてきた連中は、梶子の意見に同感するところが多かったように見受けられた。一方、小生も含めて私企業とは距離をおいた生き方をしてきたものには、梶子のような問題設定にはピンとこないものを感じた、というのがおおよその雰囲気ではなかったかと思う。いずれにしても、いつもにまさる熱気のこもったやりとりがあった。

宴たけなわとなるころ、内子が顔を見せた。近所で宴会をやったついでに顔を出す気になったという。小生は、内子とも卒業以来初めてあうので、やはり半世紀ぶりのことである。こんなに長い不在のあとの再会が重なるのは、そろそろ寿命が尽きかかっていることの兆候だろうか。われわれはもう、いつ死んでもおかしくない年になったわけだ。

こんなわけで、今夜は久しぶりの出会いがあり、白熱した議論があった。議論というよりは、銘々自分の言いたいことをてんでばらばらにののしり騒いでいるといったほうが当たっているかもしれない。

次回は正月明け早々行うということに決まった。その後、小生は、石、岩、神の三子とともにかるく飲みなおすこととなった。烏森神社裏手のブリティッシュ・パブに入ったところ、あまりにも騒がしくて話の出来る雰囲気ではない。そこで落ち着いた店に移ろうということになり、さる横町に面した地味なバーに入った。神子がいうには、老嬢が一人でやっているカウンターだけの小さな店が、自分らのようなものが歓談するには適しているのだそうだ。実際には、この店は、老嬢ではなく、中年男たち数名がやっており、しかも二階と三階とに別れてもいたが、我々老人が話をするには適した雰囲気だった。だが、かなり酔いが回っていたせいもあり、ここでどんな話をしたかは、ほとんど覚えていない。



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