イタリア紀行
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イタリア紀行その十二:サン・タンジェロ城、サン・ピエトロ広場


(サン・タンジェロ城)

ヴァティカン美術館を辞して後ヴィットリアーノ駅より地下鉄に乗りレプブリカ駅に下車してマイバスを訪ふ。文子の遺失物の取扱について相談するためなり。文子マイバスの係員に空港へ電話もて問ひあはしめたるところ該当する遺失物の届出はあらずとのこと。イタリアにては遺失物がもどることは殆ど期待しえぬやうなり。ただし、保険の約款によっては運転免許証の更新費用くらゐはもどる可能性なきにしもあらずとアドバイスせらる。

連日イタリア料理を食ひゐて聊か食傷気味なればこの近くに中華料理を食はせる店はなきやと言いしところ一軒の店を紹介せらる。店員の示しし地図を頼りにその店を探せどなかなか見つからず。該当する場所に居合はせたる人にその店の住所を言ひて所在を問ふに道を一筋間違へてあり。教授せらるるまま当該の住所に行くに果たして件の中華料理屋は見つかりたれど、この日は予約客殺到して受け入れるべき余地無しと言はる。とんだ無駄骨なりき。


(街角の台湾料理店)

仕方なくあたりのレストランを物色する間偶然台湾料理屋を見出す。是非なくその店に案内を請へばこちらは席に余裕あり。無事座することを得て台湾風湯麵を食したり。

食後街を歩くうちに一軒の両替屋を見出したれば文子をして両替をなさしむるに、一万円につき四十七ユーロ戻りしのみ。為替レートは一ユーロにつき百四十円なれど、手数料として三十数パーセントを差し引かれをるなり。殆どぼったくりといふべし。ローマの街角には多くの両替屋を見かけるなれど、緊急の場合を除いては利用するなかれ。もし街角にて両替をなすならばATMを通じてなすべし。こちらはほぼ現行レート通りの両替を期待しうるなり。

テルミニ駅前チンクエチェント広場より四十番の急行バスに乗りサン・タンジェロ城に向ふ。この城はもともとローマ歴代の皇帝の墓所として使はれをりしを中世以降ローマ法王庁に接収せられヴァティカンの軍事要塞に転化せる由。城と言ふは軍事要塞としての性格を物語るなり。


(サン・タンジェロ城よりローマ市外を望む)

内部は墓所あるいは要塞のイメージに相応して殺風景なり。要塞内部より外部の風景を望むに適したり。ここからはローマ市外を一望しうるなり。あちこちにドームの半球を見る。ローマには高層ビルを見ず。よってドームの半球群得がたき調和を以て目に映るなり。


(サン・タンジェロ城よりテーヴェレ川を見下ろす)

また眼下にはテーヴェレ川とそれに架かる橋を見下ろす。ローマの橋の殆どは石像の美しき眼鏡橋なり。無様な鉄橋の並ぶ隅田川とは大いに趣を異にす。

映画ローマの休日には、サンタンジロ城付近のテーヴェレ川にて水上夜宴催さるる場面ありしがこの日はかかる場面を髣髴せしむる施設を見ることなし。あれは映画の為の特別の配慮なりしか。


(サン・タンジェロ城よりサン・ピエトロ大聖堂を望む)

西の方角にはサン・ピエトロ大聖堂を見る。この聖堂は真東を向いて立てるなり。されば午前早くには朝日を浴びて燦然たる姿を示すなれど、午後は逆光を背にして暗然たり。日本の寺、特に浄土宗の寺院は西に向くものなれどこの寺院は東を向く。なんぞ所以があるものやと興味深し。


(サン・ピエトロ広場)

そのサン・ピエトロ寺院の広場までサンタンジョロ城より徒歩十分ばかりの距離なり。


(サン・ピエトロ寺院の柱廊)

寺院前広場には寺院内部への入場を待つ人々長蛇の列をなしてあり。寺院内にはミケランジェロのピエタをはじめ多くの彫刻やら荘厳なる礼拝堂あるといへど、キリスト教の信者ならぬ余らには長蛇の列に並ぶ意欲無し。

先ほどの四十番終点のバス停まで歩みそこよりバスに乗りテルミニに戻る。途中バス乗客の行動を観察するに、改札を経ぬままに乗り降りするものを多く見たり。イタリアのバスは日本のバスの如く改札に神経を使はず。一方では客の良心に期するとともに、他方では覆面検札を実施してルールを守らざるものには多額の反則金を課す由なり。日本とイタリアいづれか優れたシステムなりや。





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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2015
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