小塚原の首切り地蔵(36×26cm ヴェランアルシュ 2006年8月)

南千住駅の南側、常磐線と隅田川貨物線の二つの線路に挟まれた狭い土地の一角に、絵にあるような高さ一丈あまりの石の地蔵が鎮座している。常磐線の車窓からも、後ろ姿が見えるので、ご覧になった人も多いだろう。これは通称を首切り地蔵あるいは延命地蔵といって、小塚原刑場での刑死者を弔うために作られたものである。

小塚原に刑場が設けられた時期は明らかではないが、寛文年間(1660年代)というのが有力である。浅草の聖天町から奥州街道沿いにあったこの地に移転してきたのである。以来200年の間に、ここで首を切られた者の数は、数万とも20万ともいわれている。徳川時代の罪刑は現代よりはるかに苛酷なものであり、姦通はもとより窃盗のような経済犯でも死刑になることがあった。罪人たちは、小伝馬町の牢屋を引き立てられて奥州街道を下り、泪橋で現世と別れを惜しんだ後、ここで首を切られたのだった。

地蔵が始めて鎮座したのは寛保元年(1741)、以来土壇場に響き渡る断末魔の叫びを数限りなく聞いてきたに違いない。また杉田玄白らがおこなった腑分けの現場もつぶさに見たであろう。明治以降付近に鉄道が敷設されるのに伴い、何度か邪魔にされたが、それでも壊されずに残されたのは、地蔵の身中にこもった罪人たちの怨霊が人を怖じけさせたからかもしれない。

この地蔵を、わたくしは毎日のように眺めては、しばし歴史の彼方に思いをはせる。というのも、実はわたくしが今つとめている事務所は南千住駅の近くにあって、この地蔵とは貨物線の線路を隔てて向かい側にあるからなのだ。わたくしのいる場所からは、この地蔵の横顔がよく見える。いつ見ても慈悲に富んだその顔を、わたくしは女人の優しい表情に描いてみたのだった。





                 

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