四方山話に興じる男たち
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露西亜四方山紀行その十一:エルミタージュ



(エルミタージュ美術館)

九月十八日(火)六時半に起床して日記を整理す。窓よりモスクワ大通りを展望するに、天晴れて爽快なり。八時近くにフロントの老嬢朝食を持ち来る。トーストと目玉焼きとコーヒーなり。

九時半ホテルを出でて地下鉄を乗り継ぎ、アドミラリティ駅にて下車す。エルミタージュは咫尺の先にあり。これはもと夏の宮殿として造られたり。ネワ河を背にして横に大きく伸び拡がりたる建物なり。壁を緑に塗りたるところはクスコヴォの別荘と同様なり。ロシア人は緑を好めるか。

宮殿前広場にはすでに大勢の人出あり。動物の縫ぐるみを来て、行く人に戯れかけるものあり。中には全身を金メッキし、不動の姿勢を保ちて空を眺むるものあり。余、興味を覚えて見惚れゐたるところ、その人形いきなり大声を上げて顔を余に向けたり。余、覚えず哄笑せり。

宮殿の門をくぐりて中庭に入るに、すでに切符を買はんとする者窓口に長蛇の列をなせり。余らは電子チケットを入手しをれば、そのまま入場ゲートに並びぬ。ここにもすでに長蛇の列を生じたり。

十時半に入場始まる。人をして少数づつ入場せしむ。その理由はセッキュリティチェックにあり。ロシアは博物館・劇場はもとより、鉄道の駅までセキュリティチェックを課すなり。これかつてテロ頻発したる後遺症なるべしと覚ゆ。

館内夥しき人々もて充満す。思ふやうに前進することを得ず。人に肩をこづかれながら遅々として前に進む。そのうち岩子に異変生ず。見知らぬ老婆よりカバンの異変を指摘されたるなり。脇に退きてカバンの中を検分するに、財布が見当たらずといふ。どうやら掏られたるやうなり。財布の中身を聞くに、日本円数万とクレヂットカードが入りゐたる由なり。岩子慚愧することしきりなり。

傍らに日本人を見る。余彼らに向かって掏りに注意するやう促したり。

人の波に乗りて各展示室を巡覧す。ここの売り物は、イタリア・ルネサンス美術とオランダ絵画なり。そを重点的に観覧せんとす。ダ・ヴィンチは聖母像など二点ありて、その前には夥しき人蝟集す。その過半は中国人なり。中ロは友好関係にあれば、モスクワもペチェルブルグも中国人で充満するはことはりなり。

昼餉はホテル内でとらんとせしかど、混雑甚だしく又メニューも貧困なれば、一時近くに退館して町に出で、とあるイタリア料理店に入りてスパゲッティを食す。ここにて岩子、日本の家人に電話を入れ、財布盗難の善後処理を指示すといふ。


(ペテルゴフ宮殿)

食後エルミタージュ裏手の河岸より船に乗り、ペテルゴフ島に渡る。三十五分ほどして島に至る。途中の景色はさして人の目をひかず。余はしばし惰眠をむさぼりぬ。

島に上がるや関所あり。一人当たり九百ルーブリを支払ひて島に上陸す。島にあがるに関所の通過料を課すは、観光客より効率よく収奪せんとの思惑に出たるなるべし。

関所の先には一本道ありて王宮につながる。その道を歩むほどに、尿意を催しければ便所の所在を確かめんとするに、便所は脇道を十分ほど歩いたるところにあり。ロシアの都市・観光地は便所に意を払はず。多くは辺鄙なるところにあるなり。ロシア人はヨーロッパ人以上に便意を抑ふることにたけたりと思し。

小用を足してあたりを徘徊するに一の出口あり。これはおそらく島の内部に通ずる出口と思えたり。浦子余の制止を聞かずにこの出口をくぐり門外に出づ。余、守衛に向かって寛恕なる扱ひを求め、再び入場せしめよと言ひたれど、守衛規則を盾にとって許さず。一端外へ出たからには、入場料を支払って再入場すべしと主張す。きはめて杓子定規の対応なり。石子その様子を見て立腹して曰く。この赤ら顔の酔漢は日頃の抑圧を外国人に向かって発散しをるなり。小役人のひがごとといふべし、と。

宮殿のテラスに上がり、四人揃って記念撮影をなさんと、ある婦人に依頼してカメラのシャッターを押さしむ。夫人快くシャッターを押せり。周囲には我々同様記念撮影をなさんとするもの多し。多くはテラスの枠によりかかれるところを撮影せんとす。石子その傍らに立ちて景色を遠望せんとす。撮影するものそれを怒る。石子意に介さず。



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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2016-2018
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