四方山話に興じる男たち
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企業戦士の栄光と挫折の物語を聞く


四方山話の会で、メンバーが交互に自分史を語るという取り決めになって、筆者がその先陣をおおせつかったことについては先述したとおりだが、二回目の話者は柳子が勤めることになった。前回同様一同新橋の古今亭に集合して、彼の話を聞いた次第だ。いつもはかならず遅れてくるという柳子が、今宵は珍しく時間通りに来た。

柳子は席に着くやカバンから書類を取り出し、それをホチキスでとめては皆に配る。今宵の聴衆は七人。筆者のほかに、石、浦、岩、福、六谷、七谷の諸子だ。配りながら、あなたの話をまじめに聞く人なんかいるはずないから、そんな書類を用意するのは紙の無駄よ、とE(柳子の細君)は言うんだが、やはり資料がないと話しづらいから、用意してきたんだ、と柳子は言う。そしてひととおり資料がメンバーにいきわたったのを確認すると、彼の自分史を語り始めた。

1972年に君たち一同が卒業した後、自分は留年して大学に残った。そして学者にでもなるつもりで、図書館で勉強していた。するとそこで出会った清子が変なことを言う。腕時計をしげしげと眺めながら、「柳君、時間がとまることもあるんだね」と。当時の時計はねじ巻式だったから、時計が止まることは珍しくなかったんだが、そんなことにわざわざこだわる人間は珍しいというべきだった。それで自分は、清子のように能天気になれなければ、学者は勤まるまいと思い直し、学者になるのを止めて就活に専念した次第だった。

自分が入ったのは関西に本拠を置くさるメーカー。巨大企業ではないが、その筋では世界的に有名な企業だ。この会社のことは、先日あるテレビ会社が特集番組を組んで紹介していたから、見たものもいるだろうと思う、と言うから、筆者は「ああ、見たよ、なかなか参考になった」と言った。そして、「あれは、会社にとってはいいPRになっただろうから、当然金を出しているんだろう」と聴いたところが、そうではないと言う。浦子も、そのテレビ会社のOBとして言わせてもらうと、あの番組は対象企業から宣伝費をとってはいない、そんなことをしたら、面白い番組が作れないからね、と講釈する。

柳子は続けて自分史を語る。その会社で営業職に配置され、世界を股にかけて仕事をした。自分は仕事に対してはのめりこむタイプなので、自分を滅却して仕事に精進した。おかげで順調に出世もしたし、仕事を生きがいにも感じた。今から思うと、飛躍のきっかけになったのはブラジルで三年働いたことだ。そこで現地に進出している日本企業の社員と人的なネットワークを築けたことがその後プラスになった。しかしこれは単身赴任だったので、最初の頃は気楽でよかったが、そのうち日本が恋しく思うようになった。Eからも、「いつまでわたしをほっておくの、わたしにだって言い寄ってくる男はいるのよ」と言われ、非常にあせったよ。そこで会社に直訴して、三年経った時点で日本に帰ってきた。

その後は、培ってきた人的ネットワークを最大限に生かしながら、会社の中ではチームワークの徹底に勤め、大いに業績を上げたせいで、順調に出世することが出来た。五十台の半ばで役員になり、トップも視野に入るほどだった。しかしある日突然社長からクビを宣告された。なぜそうなるのか、その理由が最初はわからなかったが、そのうちだんだんとわかってきた。自分は当面の上司である会社の社長に対して、ゴマをするという礼儀に欠けていたのだと。

こんなわけで柳子の会社人生は、輝かしい栄光の後で突然挫折して終わったわけである。その話を聞き終わって筆者は、よくある話だなあ、と思った。企業戦士の栄光と挫折の物語だ。柳子がそれを酔っているような調子で話すものだから、他の連中はあっけにとられてしまい、ジャーナリストの六谷子などは、ばかばかしいと言い出す始末だ。筆者はばかばかしいとまでは思わなかったが、ワーカホリックな日本人の一典型を見せられた思いはした。企業戦士という点では、岩子や浦子も同じようなものだが、他の連中はそれとは違った人生を送ってきた。福子と七谷子は学者人生を送ってきたし、筆者と石子は別の意味で企業戦士とは無縁の生き方をしてきた。

筆者が役人としての退屈な人生を語り、柳子が企業戦士としての栄光と挫折を語ったところで、三人目は福子にお願いして、学者人生を語ってもらおうということになった。

こんな調子で今宵もうまい酒を飲んで解散した。その後筆者は、浦、石両子とともに、先日入ったバーに行ったところが、今宵は満席で入れない。そこでガードを超えた反対側にあるT.Oというバーに入った。うなぎの寝床のように細長い空間に腰高のカウンターがあるだけのシンプルな店だ。T.Oとは珍しい名前だねと言ったら、マスターの名前のイニシャルなのだそうだ。そこで筆者はいつものとおりジャック・ダニエルスの水割りを頼んだ次第だったが、壁を見ると世界中から集めたという夥しい数のブランドが並べられている。その中からなにか選んで飲もうと思い、マスターに相談したところが、カナディアン・ウィスキーのクラウン・ローヤルというのを勧められた。高い酒だからキで飲んだほうがいいですよと言われたが、ロックで飲むことにした。あっさりとした味わいで、何杯でも入りそうである。



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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2016
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