四方山話に興じる男たち
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雄弁に煽られる


四方山話の会の今月(10月)の例会には栗子が参加すると言う。その栗子が自分史のレジュメを事前にメールで送ってきた。写真入りで履歴書のような体裁である。本人はこれを「日経風私の履歴書」と呼んでいる。ともあれそれを印刷したものを持って会場に駆けつけた。というのもこの日は台風の余波ですさまじい風が吹き荒れ、電車が遅れがちだったのだ。

会場に着いてみると、栗子のほか数名のものがビールを飲みながら談笑していた。栗子に挨拶する。数年ぶりだね。すると栗子は、この会には以前よく顔を出していたのが、最近はご無沙汰していた。そのせいで会えなかった、と言った。なるほど、彼は初参加ではなく、出戻り参加というわけだ。ともあれ小生が着席したところで開催時刻となり、栗子が自分史を語り出した。同座する者は、福、岩、柳、六谷、小、浦、石の諸子、それに小生と栗子を加えて九名である。

自分は卒業後北海道を本拠とするさる流通企業に入った。石子とは同類の間柄だ。石子のことはよくわからぬが、自分がつとめたところはなかなか面白いところで、おかげで波乱に富んだ人生を送ることができた。面白いというのは、颯爽としてやりがいがあると言う意味ではなく、企業の体質がいい加減で、つねにはらはらしながら仕事をしていたということだ。どうしていい加減かというと、企業のトップがみな北海道大学の出身でその連中に全く創意工夫がない。だから時代の動きからどんどん遅れてゆく。おかげで自分の人生は沈みつつある泥船に乗っているようなものだったが、なんとか沈没せずにここまで生きながらえてきた。そんなわけで今でも元気で暮らしている。

栗子によれば、日本の企業をダメにしているのは皆帝国大学の卒業生だということだ。それに比べれば、俺のような私学出がはるかにバイタリティがある。俺のような者がいるおかげで日本の企業がもっているのだと、これはいささか身びいきな感想を述べたりもしたのだった。

栗子が体現しているバイタリティの源泉は貪欲な模倣欲だと言う。彼はアメリカにたびたび旅行して当地の流通企業を軒並み視察したが、その結果彼我の相違を痛いほど思い知らされた。そしてよくよく考えて見るに、日本の企業で成功を収めたものは皆外国企業のよいところを模倣していることに気づいた。あのトヨタにしても、ベンツのいいところを徹底的に模倣した。トヨタの発展の秘密はだから模倣にあったと言ってもよいくらいだ。そのことは他の企業にも当てはまる。成功した企業はどれもみな模倣から初めて企業の基礎を気づいたのだ、と。

そんなことから栗子は、彼なりのモットーを案出した。それは「ノーイミテーション・ノーイノベーション」と言うのだそうだ。その言葉を聞いて小生にも頷けるところがあった。技術世界におけるイノベーションに限らず、創造の世界におけるイマジネーションも、他者の模倣から始まると言ってよい。偉大な作家も先人たちのよいところを模倣しながら、それを彼独特の組み合わせて組み立てることによって全く新しいものを生み出してきた。だから独創の大部分は模倣から始まると言ってよい。芸術は模倣であると、たしかアリストテレスも言っていたはずだ。創造の世界においてさえそうなのだから、いわんや企業の世界においておや、というわけである。

栗子の話し方は非常に自信に満ちているばかりか声も大きいので迫力がある。自信と大音声に加えて押し出しも強いと来ているので、聞いている方は圧倒されてその雄弁に煽られているような気持ちになる。いつもは司会役にまわる浦子でさえ、自分の出番がないとばかりにおとなしく栗子の話を聞いている有様だ。栗子は同座する者どものそうした姿勢にますます自信を強め、全く以て独壇場を制していると言った風情だった。

こんな調子で当たるところ敵なしと言った風格を感じさせる栗子だが、ひとりだけ頭の上がらぬ人がいる。それは細君だそうだ。企業が倒産の危機に見舞われた時、栗子は役員の一人として共同債務者になったが、それは全財産を失うかもしれぬと言うことを意味した。それゆえ細君からはきつく叱責され財産の生前分配の手続きまでしたのだったが、幸い財産を失うこともなくいままで無事に生きてきた。ついては自分に生きる気力を与えてくれたのが配偶者だと思うと、いまでも頭が上がらないのだそうである。その細君は札幌に置いて、自分は東京で気楽な生活を楽しんでいるらしい。

ひととおり栗子の話が終わったあとで質疑応答の次第に移ったが、栗子は依然話のスタイルを変えないので、質問をきっかけにして持論を展開するといった具合で、栗子の独壇場がそのまま演じられた。気の弱い小生などは、勢いのある栗子の話に水をさすのがためらわれておとなしく聞いていた次第だ。

そんなわけであっという間に時間がたち、いつもどおり軽い食事をとって解散の仕儀となった。そこで幹事長の石子が次回の運営について提案をした。先日一部のものが大子の歌声喫茶を訪ねたが、その後大子からは是非みんなで来てくれと言ってきていることもあり、次回は大子の店で歌を歌いながら青春の思い出でも語り合おうではないか。そう石子が提案すると皆に異存があるはずもなく、ではそうしようということになった。ついては日程等を打ち合わせて後日メールで案内する、それを以て今年の忘年会としよう、そう決した次第であった。



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