漢詩と中国文化
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中国人の樹木信仰:鄭義「神樹」


小説「神樹」には、実に多くの人物が登場するが、真の主役は神樹と呼ばれる巨樹である。小説はこの巨樹をめぐって展開していくのであるし、すべての登場人物の行為とか思考はこの巨樹とからみあっているからである。人々のこの巨樹との絡みあいは、信仰の意識によって支えられている。この小説に出て来る人々はみな、この巨樹に強烈な信仰心を抱いているのだ。

樹木を信仰するという意識は日本人にも見られる。さすがに巨樹そのものを信仰の対象とするのではなく、神の依り代としての資格において信仰されるのではあるが、しかし信仰の一環を占めていることはたしかである。古い神社に行くと、かならずといってよいほど、楠や銀杏の巨樹を見かける。そういう巨樹は数百年から千年以上もの樹齢を誇っており、何人もの大人がかかっても、幹のまわりをかかえられないほど巨大である。幹の太さが巨大であるばかりでなく、背丈も巨大であるし、枝の張り具合も巨大である。その巨大な樹木の幹に注連縄を張り、神が地上に降りて来る際の目印にしているのである。

この小説に出て来る巨樹は、それ自体が信仰の対象である。巨樹の傍らには、樹王を祀る神社が作られているが、この樹王は日本の神とは違って、それ自体が神であるわけではない。神はあくまでも巨樹としての神樹なのである。そこが中国人の樹木信仰が、日本人のそれと異なるところだ。日本人は樹木を神の依り代と見なすのに対して、中国人は神そのものと受け取っているのである。

この小説を読んでいると、神社という言葉が頻繁に出て来る。それは神としての巨樹の魂のようなものを祀っているのだが、そうした民衆の宗教意識が、神社というもので表現されているというのは興味深い。中国にも、日本の神社に相当するようなものがあるのか。そう考えさせられるところだが、中国の神社は日本の神社とはかなり違うようだ。日本の神社は、アニミズムに先祖崇拝が重なったような宗教意識からなっているが、中国の場合には、この小説を読む限りでは、土着の庶民の素朴な宗教意識に、仏教とか道教とかいった高度な宗教意識も関係しているらしい。すくなくともこの小説の中で、神社の神主にあたるものは、仏教の僧侶のようなのだ。かれは始終南無阿弥陀仏といって念仏を称えるのだ。

さて、小説は神樹が花を咲かせるところから始まる。それを最初に見たのは、重要な登場人物の一人石建富だ。神樹はかれに向って、「わしは花を咲かそうかい」と言って花を咲かせるのである。石建富は、幾十代もの間花を咲かせたことのなかった木が、花を咲かそうかいというので、夢を見ているのではないかとも思うのだが、他の二人の男、趙家文と李金昌も目撃するに及び、現実のことだと明らかになる。幾十代も咲かせたことのない花を咲かせるというのは不思議にも思えるが、皇帝様のソテツが咲くのなら、この巨樹が花を咲かせるのも不思議ではない。皇帝様というのは、当時の権力者ケ小平のことだ。そのケ小平の家の庭にあるソテツが花を咲かせたことが、不思議なこととして受け取られていたわけであろう。

この神樹は、幾世代にもわたって村の歴史を見守ってきたのだった。この村は、河北省から山西省にやってきた趙家の祖先によって建設された。その祖先がこの土地に着いた時に、大規模な山火事が起って周囲一面を焼き尽してしまったが、一本の大樹のみは何事もなかったように焼け残った。そこで祖先はその巨樹を神樹と呼び、自分が住み着いた土地を神樹村と呼んだ。その村に後から石家と李家の祖先たちが移り住んできて、三つの氏族を中心にした村の生活が延々といままで続いて来たのである。かつての村は、大地主の趙家を中心にして成り立っていたのだったが、革命後に勢力関係が激変した。趙家の当主で戦時中は抗日村長として活躍した趙伝牛が革命の騒ぎのなかで殺され、その後を石建富がついで村長兼共産党書記になった。その石建富は文化大革命の際に失脚し、その後を李金昌がついだ。しかし改革開放の時代になると、趙家が名誉回復して、当時の当主趙家文が李金昌にかわって権力を握るのである。つまり革命後の比較的短い期間に、この小さな村にも、全国の動乱を反映するようにして、変動が起きていたわけである。小説が描きだしたその変動を通じて、読者は中国現代史の生きた見本を見るような気にさせられるわけだ。

この小説に描かれた中国近現代の歴史は、非常に生臭いものであったと思い知らされるように書かれている。小さな村に住んでいる者同士が、殺しあうのである。その殺し合いは、抑圧されていたものが抑圧してきたものを殺すという形をとった。その点では、革命という大義がないわけではないが、それにしても日頃一緒に暮らしてきたものが、俄に殺しあうのであるから、そこには理屈をこえたすさまじさがある。村落の中で住民の対立が殺しあいに発展した例は、日本の近現代史にはなかったと思うが、中国の近現代史においては、よくあることだったようなのである。

神樹に話を戻すと、神樹が幾世代かぶりに花を咲かせたことは、非常に大きな反響を呼んだ。これによって村民たちの信仰心が一挙に高まり、同じ村に生きる者としての連帯感を高めた。また、村外の人びとも大きな関心を示し、一目花咲く神樹を見ようとして大勢の人が押しかけて来た。そういう情況の中で、村民たちは神樹に感謝する気持ちから、荒れ果てた神社の再興に取り掛かる。革命後の反宗教運動のおかげで、中国各地の神社は荒れ放題になっており、神樹神社も例外ではなかったのだ。その神社の再建にあたっては、はるか昔に死んだはずの先祖たちの亡霊が出て来て、協力したりもするので、村民たちの連帯感はいやましに高まるのである。かれらは応分に金を出し合って神社の再建に必要な資金をひねり出すのである。その再建の際に、神社の敷地を囲む外壁に、カブを埋め込もうということになる。昔飢饉が村を襲った時に、村人が神社の壁土を食って命をつないだことがあった。壁土に埋め込まれていたカブを食って生き延びたのである。こういう形で命をつなごうという発想は、中国の伝統に根差したものなのかどうか。興味深いところである。

神樹をめぐる騒ぎは、村外にも伝わり、ある日軍隊が押しかけて来た。神樹が人々の迷信を掻き立て、社会不安を醸し出しているので、伐採せよとの命令を受けたというのである。それに対して村民は一致団結して抵抗する。そこで軍隊と村民との間で、熾烈な戦いが繰り広げられる。その戦いには村民の先祖の幽霊たちのみならず、かつてこの村に抗日戦の拠点を置いていた八路軍の亡霊たちまで加わるのだ。だが現役の軍隊が相手では、なかなか勝ち目はない。そこを村民たちは大奮闘し、やられっぱなしではなく、大いに健闘するのだ。その結果もあって、軍隊も壊滅的な打撃をこうむるのである。

その戦いをめぐる場面がこの小説のハイライトと言える。その場面は中国庶民の権力との戦いという様相を呈しているのだが、それが例の天安門事件を念頭においていることはよく見えてくるところだ。軍隊が戦車で襲い掛かるところなどは、天安門事件のイメージを再現したものだろう。天安門事件と並んで、宗教団体法輪功への弾圧も念頭にあったのではないか。法輪功の宗教的な部分が、この村の宗教意識と重なるのである。




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