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能「頼政」を見る:大槻文藏のゐぐせ




NHKが宇治平等院ゆかりの能楽として、能「頼政」と狂言「通円」を放映したのを見た。この二曲は、歌で言えば本歌と本歌取りの関係にあり、狂言のほうは能の完全なパロディになっている。その狂言のことは別に触れるとして、ここでは能「頼政」について、小生の所見を述べる。

「頼政」は、世阿弥の作であり、世阿弥一流の夢幻能であるが、二番目に分類される武者ものとしては、ほかの曲に比べて動きが少ないこともあって、あまり人気のある曲ではない。前半は、旅の僧と土地の翁との問答に終始し、後段では頼政本人の動きが演じられるが、なにしろ床几に座ったままのゐぐせが中心なので、これもまた変化が少ない。変化は謡の中身には込められているものの、その中身が目に見える形で表現されることがないので、観客としては退屈させられるのも無理はない。この能を、かのクローデルに見せていたら、もっと強い口調で、能は退屈きわまりないと言ったであろう。

頼政を人間国宝の大槻文藏が演じている。前半では土地の翁という姿で現れるが、実は頼政の幽霊である。その幽霊の頼政が、土地の翁となって旅の僧に名所旧跡を案内する。宇治の里で名所旧跡といえば、当然平等院ということになるので、翁は平等院に僧を案内して、平等院にまつわる昔語りをする。その昔語りというのが、平家との戦いに敗れ、自害に追い込まれた頼政の最期なのである。その最期の様子は、後段において、頼政自身によって語られる。頼政はなにせ、七十六歳の老人なので、ほかの曲における武者のような勇ましさは発揮できず、床几に座ったまま攻め来る平家の兵どもを見ているのである。

以下、舞台を見ての印象を申し述べる。舞台そのものは、大阪の大槻能楽堂であり、無観客なのは、放送のために特別しつらえられたものだからである。間狂言は省略してあり、その分、前半と後半の連続性が弱まっている。

舞台にはまず、旅の僧が登場し、京都見物のついでに宇治へ立ち寄ったと言い訳する(以下テクストは「半魚文庫」を活用した)。

ワキ詞「これは諸国一見の僧にて候。我此程は都に候ひて。洛陽の寺社残なく拝み。廻りて候。又これより南都に参らばやと思ひ候。
道行「天雲の。稲荷の社伏し拝み。稲荷の社伏し拝み。なほ行くすゑは深草や。木幡の関を今越えて。伏見の沢田見え渡る。水の水上たづねきて。宇治の里にも。着きにけり宇治の里にも着きにけり。
ワキ詞「げにや遠国にて聞き及びにし宇治の里。
詞「山の姿川のながれ。遠の里橋の景色。見所おほき名所かな。
詞「あはれ里人来り候へかし。

そこへ土地の翁、実は頼政の幽霊が登場し、僧との間で言葉を交わし、ついでに宇治の平等院に案内する。僧は、平等院にまつわる話を聞かせてほしいという。

シテ詞呼掛「なう/\御僧は何事を仰せ候ふぞ。
ワキ詞「是は此所はじめて一見の者にて候。この宇治の里に於て。名所旧跡残なく御教へ候へ。
シテ「所には住み候へども。いやしき宇治の里人なれば。名所とも旧跡とも。いさ白波の宇治の川に。舟と橋とは有りながら。渡りかねたる世の中に。住むばかりなる名所旧跡。何とか答へ申すべき。
ワキ詞「いや左様には承り候へども。勧学院の雀は蒙求を囀るといへり。処の人にてましませば御心にくうこそ候へ。先喜撰法師が住みける庵は。いづくの程にて候ふぞ。
シテ「さればこそ大事の事を御尋ねあれ。喜撰法師が庵は。我が庵は都の巽しかぞ住む。
詞「世を宇治山と人はいふなり。人はいふなりとこそ。主だにも申し候へ。尉は知らず候。
ワキ詞「又あれに一村の里の見えて候ふは槙の島候ふか。
シテ「さん候槙の島とも申し。又宇治の河島とも申すなり。
ワキ「是に見えたる小島が崎は。
シテ「名に橘の小島が崎。
ワキ「向に見えたる寺は。いかさま恵心の僧都の。御法を説きし寺候ふな。
シテ「なう/\旅人。あれ御覧ぜよ。
歌「名にも似ず。月こそ出づれ朝日山。
地「月こそ出づれ朝日山。山吹の瀬に影見えて。雪さし下す島小舟。山も川も。おぼろおぼろとして是非をわかぬ景色かな。げにや名にしおふ。都に近き宇治の里聞きしにまさる名所かな。聞きしにまさる名所かな。
シテ詞「いかに申し候。此所に平等院と申す御寺の候ふを御覧ぜられて候ふか。
ワキ詞「不知案内の事にて候ふ程に。いまだ見ず候御をしへ候へ。
シテ「此方へ御出で候へ。これこそ平等院にて候へ。また是なるは釣殿と申して。おもしろき所にて候よく/\御覧候へ。

平等院の一角に変わった形の芝生があるのを見た僧は、そのいわれを話してくれと翁にせまる。翁はその芝生の由来を語る。その芝生は、翁が頼政として自害した当の場所の名残だというのである。

ワキ「げに/\おもしろき所にて候。またこれなる芝を見れば。扇の如く取り残されて候ふは。何と申したる事にて候ふぞ。
シテ「さん候此芝について物語の候。語つて聞かせ申し候べし。昔この処に宮軍ありしに。源三位頼政合戦に打ち負け給ひ。この処に扇を敷き自害し果て給ひぬ。されば名将の古跡なればとて。扇のなりに取り残して。今に扇の芝と申し候。
ワキ「痛はしやさしも文武に名を得し人なれども。跡は草露の道の辺となつて。行人征馬の行くへの如し。あら痛はしや候。
シテ詞「げによく御弔ひ候ふものかな。しかも其宮軍の月も日も今日に当りて候ふは如何に。
ワキ「何と其宮軍の月も日も今日当りたると候ふや。
シテ「かやうに申せば我ながら。よそにはあらず旅人の。草の枕の露の世に。姿見えんと来りたり。現とな思ひ給ひそとよ。
地歌「夢の浮世の中宿の。夢の浮世の中宿の。宇治の橋守年を経て。老の波も打ち渡す遠方人に。物申す我頼政が幽霊と名のりもあへず。失せにけり名のりもあへず失せにけり。

幽霊が消えた後、後段が始まるまでの間は、間狂言が時間稼ぎをかねて劇の背景などを説明して聞かせるのが本来のやり方だが、この舞台は間狂言を省いて、いきなり後段に入っていく。後段は流儀にしたがってワキの待ち歌から始まる。

ワキ詞「さては頼政の幽霊かりに現れ。我に言葉をかはしけるぞや。いざや御跡弔はんと。歌「思ひよるべの浪枕。思ひよるべの浪枕。汀も近し此庭の扇の芝を片敷きて。夢の契を。待たうよ夢の契を待たうよ。

後シテ一声「血は琢鹿の河となつて。紅波楯を流し。白刃骨を砕く。世を宇治川の網代の波。あら閻浮恋しや。伊勢武者は。皆緋縅の鎧着て。宇治の網代に。かゝりけるかな。うたかたの。あはれはかなき世の中に。
地「蝸牛の角の。争も。
シテ「はかなかりける。心かな。
詞「あら尊の御事や。なほ/\御経読み給へ。 

現れたのが頼政の幽霊だと知った僧は、頼政本人から最期の様子を聞きたいと願う。その願いに頼政が応え、自らの最後の様子を語るのであるが、その部分は、ゐぐせの形をとっており、動きには乏しい。

ワキ「不思議やな法体の身にて甲胃を帯し。御経読めと承るは。いかさま聞きつる源三位の。その幽霊にてましますか。
シテ詞「げにや紅は園生に植ゑても隠なし。名のらぬさきに。
詞「頼政と御覧ずるこそ恥かしけれ。たゞ/\御経読み給へ。
ワキ「御心やすく思し召せ。五十展転の功力だに。成仏まさに疑なし。ましてやこれは直道に。
シテ「弔ひなせる法の力。
ワキ「あひにあひたり所の名も。
シテ「平等院の庭の面。
ワキ「思ひ出でたり。
シテ「仏在世に。
地歌「仏の説きし法の場。仏の説きし法の場。こゝぞ平等大慧の。功力に頼政が。仏果を得んぞありがたき。
シテ「今はなにをかつゝむべき。これは源三位頼政。執心の波に浮き沈む。因果の有様あらはすなり。
地「抑治承の夏の頃。よしなき御謀叛を勧め申し。名も高倉の宮の内。雲居のよそに有明の月の都を忍び出でて。
シテ「憂き時しもに。近江路や。
地「三井寺さして落ち給ふ。
クセ「さるほどに。平家は時をめぐらさず。数万騎の兵を。関の東に遣はすと。聞くや音羽の山つゞく。山科の里近き。木幡の関を。よそに見て。こゝぞ憂き世の旅心宇治の河橋打ち渡り。大和路さして急ぎしに。
シテ「寺と宇治との間にて。
地「関路の駒の隙もなく。宮は六度まで御落馬にて煩はせ給ひけり。これは先の夜御寝ならざる故なりとて。平等院にして。暫く御座を構へつゝ宇治橋の中の間。引きはなし。下は河波。上に立つも。共に白旗を靡かしてよする敵を待ち居たり。
シテ詞語「さる程に源平の兵。宇治川の南北の岸に打ちのぞみ。閧の声矢叫の音。波にたぐへておびたゝし橋の行桁をへだてて戦ふ。味方には筒井の浄妙。
詞「一来法師。敵味方の目を驚かす。かくて平家の大勢。橋は引いたり水は高し。さすが難所の大河なれば。
詞「左右なう渡すべきやうも無かつし処に。田原の又太郎忠綱と名のつて。
詞「宇治川の先陣我なりと。名のりもあへず三百余騎。
地「くつばみを揃へ河水に。少しもためらはず。群れゐる群鳥の翅を並ぶる羽音もかくやと。白波に。ざつ/\と。打ち入れて。浮きぬ沈みぬ渡しけり。
シテ「忠綱。兵を。下知していはく。
地「水の逆巻く所をば。岩ありと知るべし。弱き馬をば下手に立てゝ。強きに水を。防がせよ。流れん武者には弓弭を取らせ。互に力を合はすべしと。唯一人の。下知に依つて。さばかりの大河なれども一騎も流れず此方の岸に。をめいてあがれば味方の勢は。我ながら踏みもためず。半町ばかり。覚えずしさつて。切先を揃へて。こゝを最期と戦うたり。さる程に入り乱れ。我も/\と戦へば。
シテ「頼政が頼みつる。
地「兄弟の者も討たれけば。
シテ「今は何をか期すべきと。
地「唯一筋に老武者の。

キリの部分では多少の動きがあるが、たいして派手なものではない。やはり頼政の高齢を考えれば、派手な動きはふさわしくないと世阿弥は考えたのであろう。

シテ「是までと思ひて。
地「是までと思ひて。平等院の庭の面。是なる芝の上に。扇を打ち敷き。鎧ぬぎ捨て座を組みて。刀を抜きながら。さすが名を得し其身とて。
シテ「埋木の。花さく事もなかりしに。身のなるはてはあはれなりけり。
地「跡弔ひ給へ御僧よ。かりそめながらこれとても。他生の種の縁にいま。扇の芝の草の蔭に。帰るとて失せにけり立ち帰るとて失せにけり。



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