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盂蘭盆会に思うこと:落日贅言


今年のお盆は、小生の両親が亡くなって二十五年目にあたる。小生の父親が亡くなったのは平成九年(1997)十月のことで、母親はその四か月後の平成十年(1998)年二月に亡くなった。母親は夫(小生の父親)を深く愛していたので、夫を失っては、一人で生きる気力を失ったのだと思う。両親が相次いで亡くなってから最初のお盆が、平成十年の夏のことだったから、それから数えて今年が二十五回目のお盆にあたるわけである。

小生が両親を亡くしたころは、千葉県の佐倉に住んでいた。佐倉には、毎年の盂蘭盆会に、精霊流しを行う古い風習がある。その夏に初盆を迎える故人の名を記した灯篭を、鹿島川に流して、その霊を弔うのである。小生もその年のお盆に、それぞれ両親の名を記した二つの灯篭を用意し、市中の寺院が合同で行う読経の声にあわせて、それらの灯篭を川に流したものだった。その二つの灯篭は、あたかも手をつなぐようにして相添いながら流れていったので、小生は、生前仲のよかった両親が、手を携えあいながらあの世を目指し、あの世にたどり着いた後でも、仲良く暮らすことを、心から願ったものだ。

こんなことを言うと、因習的な考えにとらわれているのではないかと、笑われるかもしれない。たしかに、こうした思いは、合理的に説明できるものではなく、情念のようなものだ。その情念はどこから来るかといえば、なかなかうまくは説明できないが、各個人がその中で育ってきた文化的な土壌に根差したところからくるのではないか。その文化的な土壌とは、きわめて強く個人を拘束するものらしい。人は人間になる前にまず、民族の一員になるのだとはよく言われていることだが、その意味は、個人の生まれ育った環境つまりかれを支える文化的な土壌が、人間としての在り方を形成するうえで決定的な役割を果たすということではないか。

キリスト教圏に生まれ育ったものは、結局キリスト教的な発想から自由にはなれないし、ムスリム圏に生まれ育ったものは、イスラムの教えから自由にはなれない。その二者にユダヤ教を加えて一神教的な文化ということができるが、一神教的な文化は総体として、多神論的あるいは無神論的な文化と対立する。日本は、基本的には無神論的な文化を土壌として成り立っている。日本土着の宗教意識は八百万の神々をあがめるものだが、八百万の神というのは、要するにアニミズムの神であり、一神教的な意味での神ではない。一神教の神は、超越的な神であるが、八百万の神は、人間に身近な神である。そういう神は、神という言葉は使われているが、それは言葉の綾の問題にすぎず、結局は祖先崇拝に帰するのではないか。

日本人はまた、仏教の影響も強く受けている。仏教をどのように解釈するかについては、いろいろな見方があると思うが、これもまた、一神教的な神をあがめるものではなく、さとりの境地といったような、抽象的な原理を根本とする点で、宗教というよりは、世界観といったほうがふさわしいかもしれない。世界観と宗教意識とは、基本的に異なる。世界観は、宗教意識なしにも成り立つが、宗教意識のほうは、それ独自の世界背景観を前提しているという点で、世界観なしでは成り立たない。ということは、人間が生きる上で不可欠なのは、世界観を持つということだろう。一定の世界観を持つことができることで、人間は世界の中に足場を得る。宗教意識の発生は、そのあとのことだ。

日本人は、それなりに独自の世界観をもち、それに導かれて生きてきた。その世界観は、一神教的な意味での宗教意識とは異なるものだ。日本人の世界観は、アニミズム的でかつ先祖崇拝を基調とする土着の世界観に、仏教的な世界観を継ぎ足したものだ。今回話題に取り上げている盂蘭盆会は、日本土着の世界観と仏教的な世界観が融合してできた、きわめて日本的な文化である。日本土着の世界観からは、祖先崇拝を取り入れているし、仏教からはある種の浄土思想を取り入れている。浄土とは要するに、あの世のことである。その仏教的なあの世の観念が、日本土着のあの世の観念と結びつき、そこからあの世とこの世の間を往復する死者の魂というような日本独自の観念が育ち、それがいまの盂蘭盆会の儀式を支えているということだろう。

盂蘭盆会というのは、生きている者が、死んだ祖先の魂を慰めるというものである。日本独特の世界観においては、死者は生者と完全に切り離されているわけではなく、常に生者の傍らにいる。傍らといっても、すぐ隣にいるというわけではなく、こことは違う別の場所にいると考えられているが、いずれにしても、この世と完全に縁が切れているわけではなく、必要に応じてこの世へかかわり続ける。そのかかわりの最たるものとして、年間に数度この世へやってくると信じられた。古代の日本人は、半年を一年としてとらえており、したがって今の感覚で言えば、一年が二年に相当する。その半年ごとに、祖先はこの世にやってきて、子孫安寧のために働いてくれるというふうに考えられていたのである。その二回の訪れのうち、正月の訪れは、いまでは大した意義を持たなくなってしまったが、夏の訪れについては、お盆という行事として相変わらず意義づけられている。お盆というのは、基本的には、死者と生者とのつながりを確認するためのものなのである。その行事に、仏教的な施餓鬼の思想とか、日本土着の祖先崇拝が絡み合って、全体としてのお盆の行事を作り上げているのである。

お盆の行事の中心となるのは、霊迎えと呼ばれるものと霊送りと呼ばれるものだ。前者は、死者の霊を迎える行事であって、具体的にはタマシロ(人形や野菜)を用意し、迎え火をたいたうえで、仏壇や神棚に備える。後者は死者の霊をあの世へ送り返すためのもので、具体的にはタマシロを焼いたり(送り火)、灯篭を川に流したりする。お盆に灯篭を流す行事は全国に分布しており、ところによってそれぞれ工夫があるようだが、小生がかかわった両親のための精霊流しにおいては、故人の名を記した灯篭を、川に流すという形をとっていた。鹿島川は、印旛沼にそそぐ川なので、流された灯篭は、やがて印旛沼にたどり着くのである。佐倉地方の人々の祖先たちはだから、印旛沼が日常の住みかと言えるかもしれない。こうしたイメージは、柳田国男の言うあの世のイメージに近い。

生きている者たちが、死んでしまった祖先との触れ合いを求めて、さまざまな行時を行うというのは、日本に固有のことなのか。小生は宗教社会学の知識には乏しいので、各国の宗教的な行事を比較衡量するという能力はもっていないが、その狭い知見の限りでは、ほかの国にはあまり見られないようである。仏教という面では共通するところがあっても、日本土着の要素については、ほかの民族文化に類似したものがないようなので、そうした土着文化と仏教とが融合した盂蘭盆会のような行事は、いきおい他に例を見ないユニークさを持つに至ったのだろうと思う。

今年もお盆の季節を迎え、亡くなった両親のことを思いながら、お盆をめぐっていろいろなことを考えてしまった。人間というものは、怠惰なところがあって、なにかきっかけでもなければ、物事を突き詰めて考えたりはしないものである。お盆は、いまでも日本人の生活のなかに深く根付いているので、その時節がやってくると、いやがおうにも亡くなった人たちのことを考えずにはいられなくなるし、ましてやその亡くなった人が、自分の大事な親となれば、ひとしお考えにひたるよすがとなる。




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