四方山話に興じる男たち
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台風に感じて飛んでる議論をする


先日本郷にある梶子ゆかりの社員施設で四方山会の例会をやったとき、次回もここでやろうやと言う話になったが、その後肝心の梶子が所要で出られなくなり、それでは居候のようで茶碗も出しにくいので、行きつけの新橋でやるということに変った。その夜(8月30日)は、台風が接近していて剣呑な雰囲気がただよっていたのだが、みな雨風をものとせず参集した。メンバーは筆者のほか、石、柳、六谷、田、小、岩、七谷、鷲、浦、錦の諸子合わせて十一名。常連の福子はドクターストップをかけられたといって参加しなかった。

今日は浦子が自分史を語る番だ。用意してきたレジュメをもとに、例の調子で淡々と語る。卒業後すぐ、さる全国版の経済紙に就職した。面接のさいに秘書的業務に就きたいと希望を述べていたこともあって、編成ではなく経理に配属された。経理というのは、どこの会社でもノンポリの集まりなので、会社も労働組合を作ることを認めていた。そこで自分は労働組合で活動をはじめ、雇用関係の改善に骨身を砕いた。メディア界では、うちの会社が最初に男女同一賃金を実現したが、それには自分も大いに貢献したとの自負がある。

組合活動にのめり込んだおかげで、経理を首になり、広告のほうに移った。ここでは、日本の代表的な企業から広告を取るのが仕事だったわけだが、自分がこの仕事に従事した30年間だけでも、日本経済の中軸が大きく変化するのを目のあたりにした。当初は素材産業が日本経済を支えていたが、そのうち流通産業に重心が移り、近年はIT産業の躍進が目覚しい。IT産業は新聞業界にも大きな影響を及ぼし、いまや広告収入も紙ベースよりネットのほうが多くなりつつある。この調子だと遠からず、紙ベースのニュース産業は消滅するかもしれぬ、といった日本産業を高みから俯瞰するような話を聞かせてくれた。

浦子は更に続ける。50歳頃になると出向ということになるが、自分の場合には関西のさる系列テレビ局に飛ばされた。テレビというのは所謂許認可ビジネスで、国の監督官庁に頭を抑えられている。そこでお上にはいつも気をつかっていた。先日はお上の女将さんが、「わたしの気に入らない放送局は免許を取り上げる」と言ったが、その際には自分のところを含めてどのテレビ局も震え上がったものだ。我々は権力に弱いのだよ。

君が会社の体質改善に貢献したということはよくわかったが、その結果会社の業績はどう推移したのかね、と筆者が聞くと、我輩が就職したときの講読部数は90万部だったが、やめるときには300万部を超えていたというので、その一部は君の努力が反映されているんだね、立派なものだ、と褒めてやった。ところで、経済紙のライバルには某産業経済紙があるが、そことはどんな関係なんだね。某経済紙はいわゆる業界紙あがりだろう、業界紙といえば自分も仕事柄色々付き合ったことがあるが、ゆすりたかりの類が多い。産業経済紙の分野も同じなのかね、と続けたところが、田子がそれをさえぎって、「それは一面的な見方だ、某紙だって良心的で有能な記者は沢山いる。自分の友人もその一人だが、実にすぐれた記事を書く。ゆすりたかりの類と一緒にされるのは心外だ」と言い出した。どうも田子は、職業的な仲間意識と友人への義理の手前、かわって弁をふるっているようだ。

浦子の自分史をめぐるやりとりが一段落したところで、話はいきなり日本の近代史、とりわけ司馬史観といわれるものに飛んだ。どういう経路でそこに飛んだのはよく覚えておらぬが、みな司馬が好きだと見えて、それぞれの立場から司馬史観なるものを論評した。なかには、明治維新を担った勢力は、そのまま日本を軍国主義の道に導き、挙句は日本を破滅させた。つまり明治維新には光と影の部分が共存していると見るべきなのに、司馬は光の部分だけに焦点をあてて、明治はすばらしかったなどと、脳天気なことを言っているに過ぎない、というものもいれば、司馬には実は維新史に続いて昭和史を書く構想もあって、その中では近代日本の暴走にたいする批判的な視点もあった、というものもあった。

ともあれ、日本の近・現代史が俎上に上るとみな激しやすくなる傾向があるようだ。とくに今宵は、台風が接近していることもあって、激昂の度合いが強いようだ。月が人を憂鬱にするように、台風は人を過激にするのだろう。

議論が過激に傾いたところで、今回の参議院選の結果だとか、都知事選の結果を取り上げて、悲憤慷慨するものが絶えなかった。昨日のある世論調査では、安倍内閣の支持率は六割を超えたというじゃないか。日本は一体どうなっているのだ、これではますます右傾化し、そのうちに戦前のような全体主義体制が復活しないとも限らない。実に嘆かわしいことだ、と一同慨嘆したところで、六谷が、「クリーンなタカより、ダーティなハトのほうがよい」という言葉もある。ここは日本にもう一度、角栄のような、ダーティだが平和を愛するハトが戻ってくることを期待するしかないね、と言い出した。皆頷いていたので、異論はないのだろう。

日本の現状を憂えるついでに、日本の未来も話題にあがった。このままの趨勢が続くと、やがて日本の人口は8000万人台にまで減少する。それをどう受け取るかは人によって様々だが、自分などはあまり悲観的になることはないと思う。8000万人の人口なら、それはそれで、あるべき日本を構想することもできる、そう田子がいうので、自分もその意見に同調して、そのほうが成熟した国家像として望ましいのかもしれぬと言った。

ところで鷲子と会うのは久しぶりだが、ついては自分の近況を少し聞かせてくれないか。そう皆に言われた鷲子が、今日は久しぶりに皆と会って、それぞれに星雲の志を失わないでいる姿に感心したと言う。しかし、男ばかり集まって大声を張り上げて議論をするというのも色気がないね。女を入れたらどうかね。たとえば池女史とか、チャーミングな女仲間がいたじゃないか。彼女のような人を加えれば、座の空気が明るくなり、それにあわせてみなの気分も落ち着いたものになり、議論もおのずから高尚の域を遊ぶようになろうというものじゃないか。是非女を入れたまえよ、そう念を押して何度も言うものだから、池女史のことが記憶に薄い筆者は、もう一人の女性を思い浮かべた。そこで、F先輩と結婚した岡女史などもどうかね、と提案したところ、誰も賛意を表しない。どうもみな、岡女史を苦手に思っているようだ。石子などは苦笑いをして、何度も頭を(横に)振っていた。

こんな具合で、話が尽きないのはいつもどおりのことだったが、夜も更けたし台風も近づいていることだからと解散した。次回は九月某日にこの場で開催し、石子に語り部をお願いすることとしよう。石子は流通業界に生きてきた人間なので、これまでとはまた違った話が聞けるだろう。

解散後、台風が来ているのが心配だったし、筆者はまっすぐ帰るつもりでいたのだが、いつものメンバー(石、浦、岩)が飲み足りないといった顔をしていたので、烏森神社裏手にあるブリティッシュ・パブに入った。

いつもどおりジャック・ダニエルスの水割りを飲みながら歓談する。先日天皇が生前退位の意向を述べたとき、お前がそれに対する考えをブログに載せるかと思って注目していたが、結局載せなかったな、と石子が言うので、実は一度は書こうと思って筆を取ったのだが、結局書けなかった。俺にはテーマが重すぎたのさ。事柄の性質上いい加減なことは書けないからね、と答えた。天皇制はやはり重いテーマだ。



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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2016
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