浅草橋(25×34cm クラシコ5 2004年6月)

浅草橋を渡っている道は江戸通りといって、今でも東京の幹線道路のひとつであるが、徳川時代には奥州街道として、江戸から北へと通ずる大動脈であった。浅草橋は江戸城外郭のそれも街道の基点にかかる橋として、戦略上重要性をもたされ、橋詰には見附門が築かれた。浅草橋御門と呼ばれたものである。明暦の大火の際、この門を開けて小伝馬町の牢獄に繋がれていた囚人を逃したところ、一人を残してみな戻ってきたいう逸話はいまでもなお語り継がれている。

浅草橋は人形の町として有名だ。大通り沿いに何軒もの人形店が庇を連ねて並んでいるのは一種壮観である。吉徳や久月などは享保の頃からこの地で店を開いていたという。

この絵は柳橋から浅草橋を見渡したものである。神田川の岸に船宿の粗末な小屋が並び、川面には屋形船が係留せられてある。船は浅草橋を越えて左衛門橋のあたりまで姿が見られる。夏の花火が両国の空に上る頃はこれらの船が一斉に隅田川に浮かび、一時の涼味を誘うのである。






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