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江戸城三十六見附:東京の川の歴史



(人文社刊「江戸切絵図で歩く」から引用)

寛永13(1636)年に完成した江戸城は、神田川から汐留川に及ぶ最外周に外堀を配し、その中にいく重もの内堀と運河を巡らせていました。いわば水に囲まれた城郭都市だったのです。

各々の堀には城内に入るための橋が架けられ、橋の内部には枡形門が設けられました。枡形門は、敵の侵入を想定した防衛のための砦でありましたので、この頃の江戸城はまだ戦略上の考慮に基づいて築城されたことがわかります。

地図には両国橋以下の隅田川の橋も記載されていますが、江戸城完成の頃にはそれらの橋はいまだ架けられておらず、城全体が外部からの浸入に対して厳重に防護されていたのでした。

主な門について、見てみることにしましょう。

浅草橋御門 奥州道中の起点となる門で、戦略上高い位置づけを与えられていました。明暦の大火の際には、この門が閉じられたため、大勢の人が逃げ場を失い焼け死にました。

喰違橋門 明治の初期、この門の石を使って万世橋が作られました。

四谷門 甲州道の起点となった門です。

芝口見附 東海道の起点となった門です

大手門 江戸城の正門ともいうべきもので、多くの大名はこの門をくぐって本丸に拝殿しました。

一ツ橋門、清水門、田安門 徳川三卿の一橋、清水、田安の各屋敷があったところです。家の名はそれぞれ門の名からとられたといいます。




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