朝倉彫塑館(26×36cm ヴェラン・アルシュ 2006年3月)

観音寺前の小道を日暮里方面に数歩進むと、右手に黒壁の洒落た洋館が目に入ってくる。朝倉彫塑館である。

当館の主朝倉文夫は、大正から昭和にかけて活躍した西洋彫刻家で、自宅兼アトリエとしてこの建物を建てたのである。明治四十年に新築して以来、何度か手を加えたそうだが、すべて自ら制作にあたったという。芸術家の手作りらしく、非常に手が込んでいる。

朝倉の若い頃、日本の彫刻といえば、高村光雲らに代表される木彫りが主流で、土をこねあげて作る西洋流の塑像は一段低いものに見られていた。朝倉はその西洋派のチャンピオンとして、写実的作風の彫刻を作るとともに、多くの弟子の育成にもあたった。このアトリエは弟子の指導の場ともなり、昭和十一年には美術専門学校としての認可を得た程だったという。

館内には、朝倉の代表作たる彫刻作品が多数展示されている。しかし、作品の鑑賞はともかく、建物自体の持つユニークさが人々を驚かす。一階のアトリエは半地下式に床を掘り下げてあり、天井までの高さは十四米にも達する。朝倉はこの巨大なアトリエで大きな彫刻をも作ったのであろう。
 
屋上からは谷中の街を一望することができる。愛染川の谷底に向かって下っていく斜面にそって、新旧様々な形の建物がへばりついているのが見える。谷中の町はそっくり戦災を逃れたのであるが、やはり時代の波には逆らえず、たえず古いものが壊され、新しいコンクリートの塊がとってかわっているのである。

敷地の裏手には、谷中の墓地が広がっている。朝倉文夫自身の墓も、この墓地のアトリエに近い一角にある。朝倉は生前から天王寺とあだ名されていたそうなので、死後にも天王寺境内に居続けることを望んだのであろう。

スケッチしていると、館内にはひっきりなしに見物の人の出入りするさまが見える。西洋人の男女の姿も多い。彼らの目的が朝倉文夫の彫刻を見ることにあるのか、それとも谷中の街を散策するついでに、この風変わりな建物に魅せられて中に立ち入るのであるか、詳らかにしない。
 
路地を突き抜けると、日暮里方面から千駄木にのびる道が走っている。渡った先は道潅山である。右手に日暮里の駅は目と鼻の先だ。




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