TOKYO
TOWNSCAPES

  


築地・鉄砲洲



築地はいまや魚河岸とその周辺に広がる料理屋の町として知られています。銀座と並んで築地に本店を置くことは、一流料亭のあかしのようにもなっています。

築地界隈の大部分は、もともとは鉄砲洲という南北に細長く伸びた出洲とその先に広がる入江でした。徳川時代の初期にこの入江が埋め立てられて新たな土地が生じたのです。築地という地名は、この埋立と関係があるものと思われます。埋立地の一部には本願寺が立てられ、残余の大部分は大名や武家の屋敷地にあてられました。

幕末期の切絵図を見ると、築地一帯は縦横に堀がめぐらされた水の町といった感を呈しています。それらの殆んどは現在は埋め立てられてなくなっていますが、明治大正を通じて運河の町の風情を残していました。

維新後築地は外国人居留地になります。横浜の関内のように、堀に囲まれた土地だったので、居留地として適していたのでしょう。いまでも、築地協会や聖路加病院などに居留地時代の残影を見ることができます。

築地に魚市場が進出するのは関東大震災の後です。それまでは日本橋の北詰にあったのですが、震災によって消失したのを契機に、より広い土地を求めてここに移転してきたものです。この市場も、建物の老朽化をきっかけに、豊洲へ再移転する計画が進んでいます。

この町は、さほど長くもない歴史の中に、さまざまな出来事にいろどられた町といえます。




関連サイト:築地獅子祭 銀座通り 月島・佃




築地界隈築地市場築地場外市場鉄砲洲

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