四方山話に興じる男たち
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露西亜四方山紀行その七:モルドヴァ大使館、ノヴゴロド行き夜行列車



(モルドヴァ大使館)

ツム百貨店を出でて、クズネツキー通りを歩む。この通り歩行者天国にて、夥しき数の人々散策す。通りの一角にモルドヴァ大使館の玄関あり。浦子がいふには、この大使館内に大使館の経営するレストランありと。守衛に乞ひて内部に案内せらるべしと旅行ガイドに記しあれば、守衛に案内を乞はんとするに、留守なり。その帰りを待つ間通りの雑踏を眺めゐたり。その雑踏、銀座の雑踏よりも人間臭さを感じせしめたり。ややして守衛帰り来る。すなはち案内を乞ふに、守衛我らを別の入口より招き入れてレストランに案内す。

レストランの入口に一老人あり。守衛より我らを受け取るや、小口のグラスにヲートカを注ぎ、我らに向かってこれを飲めやといふ。しかしていはく、これは食前酒なり、これを飲まずんば中に入るべからず、これロシアン・トラディションなりと。余ら異議なくグラスを飲み干す。すると老人別のウェイターに目くばせし、余らを内部の席に案内せしむ。

席につくや、料理数皿とビール、赤ワインを注文す。店の一角、我々の席の正面にピアノ据え置かれてあり。そのピアノを演奏しつつ、男女のシンガー、ロシア風の歌を歌ひたり。男は頭の禿げあがりたる中年男にて、女はやや小太りせる中年女なり。彼らの声量豊かな歌声は時に旅愁を感ぜしめたり。その声を聞きながら我らビールを飲み、ワインを飲み、またヲートカを飲みたり。頗る雰囲気よければ杯も重なり、やや酩酊気味になれり。

食事を終へて出口に至るに、またかの老人に呼び止められ、小口のグラスにヲートカを注がれたり。しかして老人いはく、ここにて食後酒を飲まざれば出ることを得ず、これもまたロシアン・トラディションなりと。モルドヴァにあらずロシアのトラディションといふがみそなり。

思ふに、このレストランは大使館の副業なるべし。これにて外貨を稼ぎ、以て大使館員を養ふなるべし。先日見たる北野武の映画に、小国の大使館が副業に闇カジノを営むシーンありしが、闇カジノに比すればレストランの経営は至極健全といふべし。

タクシーを呼ばんとしたれど、土地柄ここまでタクシーは来ずといふゆえ、地下鉄を乗り継ぎでレニングラード駅に至る。荷物を受け取り、到着ホームに到り、午後九時五十八分発ノヴゴロド行の夜行列車に乗り込む。ロシアの鉄道もヨーロッパ同様改札口を設けず、客は直接列車に乗りこみ、車内にて検札を行ふなり。

寝台車はコンパートメント式にて、一つのコンパートメントに四つのベッドを納めたり。ベッドは上下二段式なり。余は寝相の悪きを以て下段のベッドを専用す。そのベッドに一同坐して、ツム百貨店にて買ひ求めしヲートカを飲みつつ歓談す。高声戯語やや周囲をにぎはせしとみえ、車掌によってたしなめらる。

とかくするうち眠気の襲ふところとなり、ベッドに横様になるまま寝入りたり。



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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2016-2018
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