知の快楽 哲学の森に遊ぶ
HOME ブログ本館 東京を描く | 日本文化 英文学プロフィール 掲示板



加藤周一の一休論


一休といえば、徳川時代に形成された頓智話の主人公としてのイメージが強い。加藤周一は、そうしたイメージには民俗学的関心をひき付けるものがあるといいながら、自分が一休にひかれるのは、詩人としての一休であるという。加藤は一休を「形而上学的詩人」と呼んで、日本の歴史上稀有な人物だと位置づけている。最高の詩人とはいわないで、型破りな詩人であるといい、かれの前後には、ほかに類を見ないというのである。

加藤は、一休の残した一千首の漢詩(大部分は絶句)からなる詩集「狂雲集」によりながら、一休という人物の生き方とか、詩の醸し出す独特の世界の雰囲気について綿密な考究を行っている。その論に「一休という現象」と名付けたのは、一休という人物が日本の歴史のうえにもつ独特の位置に着目したからであろう。

一休が生きたのは、室町時代の後半、西暦でいえば十五世紀の半ば前後である。この時代の日本は、幕府の権威が地に落ちて、秩序が崩壊し、内乱の嵐が吹き荒れていた時代である。そんな時代だからこそ、一休のような人物が生まれえたと加藤は考えたようである。一休の生き方は、単純化していうと、あらゆる秩序から自由な、徹底した相対主義者かつ自尊主義者であって、今日的にいえば、アナーキストのような存在であったらしい。かれは、詩人である前に禅坊主であり、禅的な見地から世界と自分を見つめていた。かれの詩はだから、禅坊主としての自分の世界観とか自分自身の感性とかを詩に託したものだということになる。

そのあたりの呼吸を加藤は次のように表現している。禅の究極目的はさとりを得ることだが、「悟りまたは正覚または大智、それが全人格的直接的経験であるとして、その経験の構造を道元は理論化しようとした。『正法眼蔵』によって、われわれは彼の悟りの内容を察することができる。一休はその根源的な経験に理論的表現を与えず、ただそれを踏まえて詩をつくった」。つまり一休の詩は、彼自身の悟りの境地を、理論化せずにそのまま歌ったものだというのである。

しかし一休の場合、その悟りの境地は安定したものではなかった。加えて、一休はさとりの境地ばかりを歌ったわけではない。かれの詩の多くは、官能的な衝動をモチーフにしたものが多く、それらは禅の境地とは無縁というべきである。つまり一休には、禅者としての面と、自己の官能に忠実な俗人としての面が融合していたということがいえる。その場合、禅者であることと官能的な俗人であることとが、どのように折り合いをつけていたか。それが問題となるが、加藤は一休が、それら互いに矛盾あるいは対立しあう面を、そのまま体現していたと考える。

一休には、禅と俗との対立(悟道対破戒の対立ともいう)のほかに、強い自信と厳しい自己批判、世捨て人と毒舌家、禅宗と浄土宗といった対立を一身のうちに体現していたという。自己への強い自信は、禅が自力信仰であることから生まれ、その自力への自信が自己への厳しい態度をもたらす。また、自力では畢竟解決できないものがあって、それを自覚したから浄土の他力信仰へと導かれた、というようなことを加藤は言っているのだが、これらの対立の中で決定多岐な役割を果たしているのは、やはり、禅坊主としての悟りへの希求と、俗人としての官能への偏愛、つまり破戒との対立ということになろう。加藤自身は、一休の破戒僧としての面を強調しながらも、基本的には一休を禅を追求した人物としてとらえている。一休は基本的には禅者なのであり、禅者として世界をつかもうとした。しかし、禅は、加藤によれば、「価値を超越するのに有効だが、現存の価値体系を他の価値体系で換えるための根拠は提供しない」。自力ではそれは無理だというわけであろう。そこで、他力の浄土が出てくるわけである。

そのあたりを加藤は次のように表現している。「禅に徹底することは、自力の限界までゆくことである。一休はおそらくその力の限界において、どうしても解決できない対立につき当たった。破戒対自戒。『本来無一物』対『莫作諸悪』。永遠の今と日常の時間。超越的経験と歴史的社会的空間。絶対的な主観主義と宇宙の客観性。もしその解決が自力で不可能ならば、その先には『他力本願』の世界しかないはずだろう」

このようにして加藤は、一休が禅坊主として出発しながら、浄土信仰へと向かっていったことの必然性のようなものをほのめかすのである。禅から出発して浄土にも多大な関心を示したものとして、後世の鈴木大拙があげられるが、大拙の場合には、禅のいう悟りとは、浄土でいう成仏となんら異なるなるものではない、という理屈になっていた。つまり禅と浄土とは、同じものを目標としているというわけでる。それに対して加藤が描く一休は、禅では解決できないものを、浄土に期待するという形になっている。一休の問題意識は、大拙のように予定調和的ではないのである。

とまれ加藤の示す一休像は、いままでの常識的な一休像を大きくはみ出たものであり、なかなか刺激的ではある。




HOME日本の思想加藤周一を読む次へ









作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2015-2022
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである