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加藤周一を読む


加藤周一は博覧強記の人で、国の内外を問わず世界中の出来事に気を配り、また人類的な視点からものごとを解釈した。コスモポリタンでありながら、日本文化に精通していた。というより、日本文化を深く理解していたからこそ、コスモポリタンたりえたと言える。その業績は膨大な規模であり、それを通じて「知の巨人」という印象が伝わってくる。

「知の巨人」という言葉はあまり使われないが(「知のピグミー」というのはある)、それは文字どおりその言葉に相応しい人がなかなか見つからないからだ。歴史上この名に値する人はレオナルド・ダ・ヴィンチくらいだろう。ダ・ヴィンチの偉大さがまさに「知の巨人」と言うに相応しいことは、誰もが承認するところだと思う。そのダ・ヴィンチに加藤を比べるというのは、ちょっとやりすぎかもしれない。しかし、もし日本人の中でその名に相応しい人をあげろといわれれば、加藤周一の名が真っ先に浮かんでくるのではないか。

加藤は四つの外国語を自由にあやつり、世界中を訪ねまわっては、さまざまな国や民族の文化を観察し、それを日本と比較しながら、人類的な視点から評価、批判した。一方、日本文化についても広くかつ深い分析を行い、その独自性と普遍性について考えた。加藤には、とりあえず徳川時代の文化に対する強い思い入れがあり、それを手がかりに平安時代の文学にまでさかのぼって、日本文化をトータルに捉えるという志向があった。その志向は、豊かな実りとなって、かれの業績を彩っている。

加藤は医者としてキャリアのスタートを切った。医者は科学・技術者のはしくれであるから、加藤の思考は合理的である。合理的でありながら、審美的でもある。そこが加藤の魅力になっている。加藤の業績は、文学と芸術にわたるのであるが、文学を論じる際にはやや合理的な態度をとり、芸術を論じるときには審美的な態度をとる。審美的な態度をとれなければ、芸術を愉しむことはできないだろうから、それは芸術を論じるために不可欠な資質といってよい。

科学的な態度にせよ、審美的な態度にせよ、加藤はそれらを幼年時代の体験から学んだようである。かれは、学者としてはめずらしく、自叙伝のようなもの(「羊の歌」)を書いているが、それを読むと、幼年時代の体験がいかに大きな影響をかれに及ぼしたか、よくわかる。かれの父親も医者だったが、その父親は冷めた目で世の中の動きを見ていた。加藤の幼年期から青年期にかけては、日本が軍事大国を目指した時代であり、世の中には非合理な精神主義がはびこっていた。そうした動きに対して、父親は冷めた目を向けた。そうした批判的な態度を、息子の周一も受け継いだということだろう。

一方、審美的な態度は、母型の祖父から受け継いだらしい。祖父は没落しつつある資産家であり、そうした境遇の資産家によくありがちなように、人生を愉しむ態度を身に着けていた。その態度は、女と粋な関係を楽しみ、また、芸術を愛することに通じた。加藤周一は決して女たらしではなく、かえって禁欲的な雰囲気を感じさせもするのだが、女性との間に洒落た関係を作ることにはたけていたのであり、それは母型の祖父の薫陶のたまものであったと思われるのである。

加藤はそうした遊びの精神を身に着けていたのだが、一方で、比較的質素な生活習慣を身に着けてもいた。そうした質素さは、父親から受け継いだらしい。加藤の父親は、自分の境遇に満足して、多くは求めずに、質素に暮らすことを楽しむ風儀を身に着けていた。そうした質素な態度を息子の周一も受け継いだということなのだろう。かれには、文学や芸術を論じながら、けっして派手好みではなく、教師に似た謙虚さがあった。その謙虚な姿勢をもって、日本の文学・芸術を論じたのである。

日本の近代文学については、加藤は自然主義的な文学を軽視し、審美的な文学を好む傾向がある。審美的な文学としては、成島柳北・永井荷風・谷崎潤一郎といった流れを高く評価している。その一方で、大岡昇平の戦争文学も高く評価している。日本の不条理な精神主義への反発とか、人間の弱さを冷徹に見据える大岡の姿勢に、自分も同じような気分を抱いているものとして、共感したのだろうと思う。

芸術のうち、加藤がすすんで取り上げるのは絵画である。加藤は伝統的な日本美術に強い関心を抱く一方で、いわゆる洋画は、西洋絵画の猿真似だとして評価していない。日本画のうちでは、富岡鉄斎をとくに好んだようである。

日本の知識人には、西洋文化についてはやけに詳しい一方で、日本文化については無関心に近い態度をとる者が多い。そうした中で加藤は、日本文化に深く沈潜し、そのよさを肌で味わうことのできる人である。自分の国の文化を強く愛することができたからこそ、海外の文化についても、相対的な視点から論じることができたのであろう。その視点は、先述したような人類的な視点につながる。

人類的ということについていえば、加藤は、西洋思想のうちでもサルトルに強い親近感を示している。サルトルの実存主義が人間、それも普遍的な意味での人間を論じたものだったからであろう。普遍的な人間という観点からは、人間は国籍や民族性を超えて、理解しあうことができる、という確信をもてるのである。

ここではそんな加藤周一について、主に日本文学論を中心に、かれの業績をたどってみたい。


加藤周一の日本文化論

加藤周一の世阿弥論

加藤周一の一休論

加藤周一の新井白石論その二

加藤周一の石田梅岩論

加藤周一の福沢諭吉論

加藤周一の森鴎外論

加藤周一の夏目漱石論

加藤周一の永井荷風論その二

加藤周一の芥川龍之介論

加藤周一「日本文学史序説」を読む

加藤周一の日本古代文学論:日本文学史序説

加藤周一の平安文学論:日本文学史序説

加藤周一の鎌倉仏教論:日本文学史序説

加藤周一の室町文化論:日本文学史序説

加藤周一の武士道論:「日本文学史序説」から

加藤周一の元禄文学論:日本文学史序説

加藤周一の荻生徂徠論:日本文学史序説

徳川時代の文人文化:加藤周一「日本文学史序説」

富永仲基と安藤昌益:加藤周一「日本文学史序説」

本居宣長と上田秋成:加藤周一「日本文学史序説」

大塩平八郎と農民一揆:加藤周一「日本文学史序説」

吉田松陰と尊王攘夷:加藤周一「日本文学史序説」

中江兆民と自由民権:加藤周一「日本文学史序説」

自然主義作家たち:加藤周一「日本文学史序説」

幸徳秋水と社会主義:加藤周一「日本文学史」

加藤周一の谷崎潤一郎論:日本文学史序説

戦後の文学者たち:加藤周一「日本文学史序説」

加藤周一のマルクス観

フランス・レジスタンスの詩人たち:加藤周一「途絶えざる歌」

ゴットフリート・ベンと現代ドイツの精神:加藤周一のドイツ人論

加藤周一のサルトル観

羊の歌:加藤周一の「わが回想」




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