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戦後の文学者たち:加藤周一「日本文学史序説」


加藤周一は日本の戦後文学を1945年から1975年までの30年間に設定している。その時期の前半は経済復興期にあたり文学も活発だった、後半は経済的な繁栄がもたらされた時代だが、文学は独創的な活気を失った、と加藤はいう。この時期全体を通じていえることは、アメリカの圧倒的な影響である。その影響は政治・経済・軍事・情報・学問・大衆文化の、ほとんどあらゆる領域にわたる。「これほど広範な領域で、日本国が特定の外国へ依存したことは、一九四五年以前にはなかった」。

戦後の文学は、戦争への反省からはじまった。加藤は戦後文学を代表する作家として、大岡昇平と野間宏をあげている。その前に、予備的な考察として丸山真男に言及する。丸山は日本型ファシズムを、「一方では集団に超越する価値の欠如、他方では個人の集団への高度の組み込まれという各時代を通じての日本型世界観の特徴が」あらわれたものだとし、したがって日本思想史の例外ではなく、「本来そこに内在した問題の極端な誇張に過ぎなかった」と考える。東京裁判で日本側の被告たちが見せた無責任さは、そうした日本的な世界観の特徴が戯画的な形で現れたものだというわけである。

丸山が東京裁判で見たものと同じことを、大岡昇平はフィリピンの捕虜収容所で見たのだろうと加藤はいう。フィリピンの日本兵は、軍隊組織が解体するとよりどころを失い、自立した個人として生きていく能力を失う。ただただ原始的な衝動に従って行動するだけだ。それは日本人が集団の中でしかアイデンティティを持てないということからくるのであり、そうしたあり方は、日本の歴史に深く根差しているというのである。

その大岡が戦後二十年以上たって書いた「レイテ戦記」は、「平家物語」以来の戦争文学の傑作だと加藤は評価する。たしかに、この作品は、構想の雄大さと的確な状況描写を併せ感じさせるもので、壮大な叙事詩読んでいるような感覚を受ける。

大岡にも怒りを感じ取ることができるが、野真宏の場合には、怒りこそが小説の動機になっている。かれの「真空地帯」は、軍隊組織に対するかれの激しい怒りを表現したものだ。その怒りは、野間自身が三年間の軍隊生活を通じて、「わたしの内につみかさなった戦争と軍隊に対する怒り」であると自ら語っているものである。

太宰治も戦後を代表する作家の一人だ。かれはもともと私小説的な作風で、社会・国家のことにはかかわらないタイプだったが、戦後日本の情ない有様を見るにつけ、大日本帝国の日が沈む様子を「斜陽」で比喩的に描き、日本国が独立を失ったことを「人間失格」にたとえた。

以上の三人は、戦前に成長した人間だ。それに対して戦後になって登場した作家の代表として加藤は、安岡章太郎と三島由紀夫を上げる。どちらもアメリカ文化に深い影響を受けている。安岡の場合には、圧倒的な迫力のアメリカ文化を前に自信喪失した様子を見せるが、三島の場合には、アメリカ文化の商業主義的な傾向を自ら体現して見せた。三島ほど大衆社会における商業主義をうまく利用したものはない。かれはたえずセンセーショナルなニュースの中心人物たらんとし、また挑発的なやりかたで「昔はよかった」と叫んだ。加藤の三島評価にはかなり厳しいところがある。

大江健三郎は、三島よりさらに若い世代に属する。大江の小説はほとんどが抵抗とか抗議をテーマにしている。何故大江は抗議するのか。そうした抗議をなさしむるのは、おそらく「平和であり、樹木であり、生命の優しさ」だろうと加藤は推測する。大江は積極的に政策を論じるタイプではなかった。平和を重んじる立場から、時代のいやな空気に違和感を表明するタイプの作家だったというのである。

加藤周一の戦後文学史は、大江のところで終わっている。それはまた、彼の「日本文学史」の終わりでもある。その終わりを象徴する作家として加藤は大江を取り上げたわけである。




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