知の快楽 哲学の森に遊ぶ
HOME ブログ本館 東京を描く | 日本文化 英文学プロフィール 掲示板



ゴットフリート・ベンと現代ドイツの精神:加藤周一のドイツ人論


アラゴンやエリュアールらフランスの詩人たちが、愛国感情をナチスとの抵抗とそれを通じた人間の解放と結びつけたのに対して、ドイツはそもそもナチスを生んだ国ということもあり、詩人の抵抗ということはほとんど問題にならなかったし、したがって抵抗と人間性の解放とが結びつくこともなかった。ナチス時代に、ドイツ国内でナチスに公然と抵抗した詩人や作家はいなかったといってよい。トーマス・マンをはじめとして、ナチスに批判的な目を向けていた作家はとっとと海外に移住した。そして海外から冷ややかな目でドイツを眺め、ナチスが敗北したあとドイツに戻ってきて、あたかも自分たちがドイツ精神を代表するかのようにふるまった。マンなどは、ドイツ民族が国家を持つとろくなことにはならないから、ユダヤ人のように国家を放棄し、ディアスポラの生き方をしたほうがよいとまで言ったくらいである。

一方、ナチス時代にドイツで暮し続けた詩人や作家はどんな精神状態にあったのだろうか。加藤周一は、そんな立場の作家をゴットフリート・ベンで代表させ、ベンを通じて現代ドイツの作家たちが体現するドイツ精神なるものの実質について考察している(「ゴットフリート・ベンと現代ドイツの『精神』」)。かれらがドイツに残って暮らし続けたのは、ナチスに積極的に協力しようという気持ちからではなかったが、かといって、全く理由がないわけでもなかった。すくなくともベンの場合には、ナチスへの共感があった。ベンはナチスにドイツ民族の可能性を感じ、ドイツのために自分も働きたいと思っていた。そういう気持ちは多くのドイツ人が共有していたもので、決して機会主義だと決めつけて単純化できるものではない。ベンを含め多くのドイツ人は、機会主義からではなく、共感からナチスドイツに協力したのである。ベンの場合には、表向きの職業は医師だったから、医師(軍医)としてドイツ人の務めを果たしながら、ナチスの時代を生きた。

ナチス時代をドイツで生きた芸術家に、なぜおまえはドイツに残り続けたと問うのは、後智慧のなさしむるものだろう。そのことを絶対的な誤ちだという前提から、おまえは何故誤ちをおかしたかと問うのは、フェアなやり方ではない。ベンも、そんなアンフェアな問いをくりかえし浴びせられて、うんざりしたのだろう。次の三つの理由をあげて抗弁している。①当時のドイツに亡命の観念がなかった、②ナチスは合法的に権力をにぎった、③ベン自身はナチスに積極的にかかわったことはないし、普通の市民として生きただけだ。それらは言い逃れに近い形式的な理由であるとしか言えないだろう。本当の理由は、ベンにナチスを嫌悪する理由がなかったということではないか。

ベンがナチスに嫌悪を感じなかった理由は、ナチスの体現していた民族主義を、ベンもまた共有していたからだ。それはまた、大多数のドイツ人が共有していたものでもある。ナチスが(ドイツ国内で)成功したのは、その民族主義が大多数のドイツ人から評価されたからである。だからナチスの蛮行は、ナチスだけの責任ではなく、ドイツ人もまたその共犯者である。そのことをきっちり押さえない限り、歴史から学んだことにはならない。

だが、ナチスが敗北した後、ナチスの掲げていた理念は恥ずべきものだと断罪され、ドイツ人の民族主義意識はいかがわしいものとされた。そこで戦後のベンは、民族を語ることが出来なかった。ナチスの時代には、民族主義と芸術とは矛盾しなかったのであるが、戦後は、民族主義にもとづいて芸術を語ることはできなくなった。そういう事情のもとで、ベンは何に依拠しながら、自分の考えを語らねばならなかったか。

加藤は戦後のベンについて、民族を語らなくかったかわりに、芸術の絶対化と歴史の拒否について語るようになったという。これらはナチス時代にもあったものだが、戦後はそれが前面に出てきた。芸術の絶対化とは、権力を捨象して芸術を語るということであり、したがって政治的な責任というやっかいなモチーフを避けて芸術を語ることができる。歴史の否定は、もともとは西洋的な普遍性とか人類の文化的な発展とかいった概念への拒否感という形をとったが、戦後は、歴史は精神と徹底的に対立するものであり、したがって精神を論ずるときに歴史を持ち出してはならぬということになる。ベンはそうすることで、ナチス時代における自分自身の責任問題を棚上げし、未来に向かっていささかの地盤を確保することができると思ったのであろう。

結局、ベンを材料にしながら加藤が言いたかったことは次のことのようである。「ファシズムと戦争の静かな支持者のすべてが、機会主義者であったと考えるほど、危険なことはない。また彼らのすべてが宣伝に『だまされ』、無邪気に荒唐無稽なことを信じていたと考えるほど、事実から遠いことはない。静かな支持者の中には、相当の思想的根拠があったのであり、その根拠は今でも生きているのである」

フランス人と比べてドイツ人は、愛国心と人間的な自由とが結びつかなかったという不幸を抱えていた、ということだろう。フランスでは、愛国心が人間の解放と結びついた。ドイツでは、愛国心はいかがわしいものと結びついてしまった。そのことが戦後のドイツ人を袋小路に追い込み、かつ深刻なアイデンティティの危機をもたらしたというわけである。




HOME日本の思想加藤周一を読む次へ









作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2015-2022
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである