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ディカーニカ近郷夜話:ゴーゴリの出世作


「ディカーニカ近郷夜話」は、ゴーゴリの名を世間に知らしめた出世作である。八編の短編小説からなっている。ゴーゴリはそれらの小説類を1829年、つまり二十歳の時に書き始め、1831年に四編からなる前巻を、翌1832年に残りの四編からなる後巻を出版した。反響は好意的で、一躍人気作家になった。作家として早熟な点は、先輩のプーシキン同様である。ただプーシキンが詩人として出発したのに対して、ゴーゴリは詩を書かず、短編・中編の小説類を書き続けた。唯一の長編小説「死せる魂」は未完に終わっている。

八編のうち七編は、ウクライナの民話に取材している。ディカーニカというのは、ウクライナ東北部の州ポルタヴァ(ウクライナ戦争の舞台となったハルキウ州の西隣)の、首都の近郊にある町である。ゴーゴリはその町の近くのソロチンツィで生まれ育った。そのソロチンツィの周辺に伝わっている民話をもとに短編小説を書いたわけである。だが、ゴーゴリ自身は、地元の民話に詳しくはなく、主に母親に聞きながら小説の筋書きを構想した。

全編を通じて、ルードウィ・パニコー(赤毛の旦那)とあだ名される人物が書いたということになっている。そのパニコーは、ディカーニカ寺院の役僧フォマ・グリゴーリェヴィッチから話を聞いたというから、入れ子細工のような構成になっているわけである。話者たちはウクライナ人であるが、そのウクライナのことを「小ロシア」と呼んでいる。「小ロシア」というのは、「大ロシア」たるロシア側からする蔑称なのだが、それをかれらは受け入れている。ただ、かれらは祖国をウクライナ(これも辺境という意味であり、蔑称には違いなかった)と呼ぶこともある。祖国といっても、当時のウクライナはロシアの一部であり、国家としてのアイデンティティを持っていたわけではなかった(なお、「小ロシア」の範囲は、今でいうドンバス地方とクリミア半島を含んでいなかった)。

民話から取材した作品(八編中七編)は、悪魔や魔女が活躍する幻想的な雰囲気や、庶民の暮らしに密着した生き生きとした描写にあふれている。ゴーゴリは、基本的にはリアリズムの作風とみられているが、単に現実生活をリアルに描くだけではなく、幻想的な雰囲気を併せ持っていたのである。後には、その幻想的な雰囲気に、辛辣な皮肉が付け加わるのだが、この作品集の諸作には、まだ皮肉らしさは表面に出ていない。民話らしい素直さを感じさせる。

ここではまず、前巻の四編について触れたい。第一作の「ソロンツィの定期市」は、市場で出会った若い男女が、苦難を乗り越えて結ばれる話である。かれらの結婚を邪魔するのは、意地の悪い継母だ。その継母の横やりを、若者が悪魔に扮して粉砕し、晴れて結ばれるというような内容である。定期市を舞台にした庶民のたくましさと、悪魔を恐れるかれらの迷信深さが、コメディタッチで描かれる。なお、この物語は、ゴーゴリの父親が書いた劇を下敷きにしていると言われる。父親も、民話から取材したのであろう。

第二作の「イヴァン・クパーラの前夜」も、若い男女の結婚をテーマにした作品。愛し合う二人は、男が貧しいことがネックになって、女の父親が結婚を許さない。そんな男の前に悪魔が現れ、かれに財宝をさずける。かれは夢うつつのなかでその財宝を得たのだったが、じつは財宝を獲得する条件として、娘の弟の命を奪ったのだった。その事実が明らかになったとたん、世界は混沌におちいるといった内容だ。財宝を与えられるのも、弟をめぐる真実が明らかにされるのも、「イヴァン・クパーラの前夜」ということになっている。

第三作の「五月の夜、または身投げした話」も、若い男女が障害を乗り越えて結ばれる話である。ここでの障害は、若者の父親が若い女に懸想することだ。それを知った若者が、父親を懲らしめる。その話(メーンプロット)に、魔女にまつわるおとぎ話がサブプロットとしてからむ。そのおとぎ話を若者は、恋人の女に語って聞かせたのだったが、そのおとぎ話に出てくるキャラクターが、現実世界に現れて、ひと騒ぎ巻き起こすという趣向。幻想的な雰囲気をもっとも感じさせる作品である。

第四作の「消えた手紙」は、女王陛下への挨拶状を届けるように命じられたコサックの男が、さまざまな困難を乗り越えて、挨拶状を無事届けるという話。その挨拶状を、男は帽子の裏に縫い付けていたのだったが、旅の途中にそれを奪われてしまう。奪ったのは魔女たちだった。そこで男は魔女たちのいる森に乗り込んで、知恵を働かせて彼女らを降参させ、帽子もろとも挨拶状の手紙を取り戻すという内容である。

以上四作とも、悪魔や魔女が活躍するのと、その悪魔と庶民との知恵比べを中心とした、庶民のしたたかな生き方がテーマになっている。そういう点では、庶民の暮らしぶりに密着した作品といえる。四作のうち三作は若い男女の恋をテーマにしているが、その恋はさまざまな障害に直面する。それ障害を乗り越えて結ばれるというのが、いかにもロシアらしさ(ウクライナらしさ?)を感じさせる。




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