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アイザック・ドイッチャーのロシア革命研究


アイザック・ドイッチャーは、E.H.カーと並んで、ロシア革命研究の第一人者である。もっともロシア革命は、結果として失敗に終わったというのが、いまの歴史学界隈の標準的な見方であるから、彼らのロシア革命の研究にはたいした意義は認められなくなったしまった。いうならば、彼らの研究は、無駄な努力に終わった、と片づけられがちというのが、落ちというところだろう。だからといって、彼らの業績を根こそぎ否定していいということにはなるまい。たしかにロシア革命そのものは、社会主義革命としては失敗に終わったといってよいが、そのことを以て、社会主義革命そのものを否定する理由にはならない。そういう評価をするためには、ロシア革命が、社会主義革命の、考えられる限りでの、唯一の可能性を代表していたといわねばならないが、それは言い過ぎだろう。社会主義は、資本主義の矛盾を解決するためのシステムとしての意義を持っている。そういう意味での社会主義のモデルは、決して意義を失ってはいないのである。

ともあれ、歴史上の事件としてのロシア革命は、さまざまな問題を投げかけている。その問題の中には、社会主義の有意義性について考えさせるようなものもあり、また、歴史を動かす現実的な推進力をどう評価するかという、歴史学の方法論にかかわるものもある。歴史的な事件を評価・分析しようとする場合、全体としての流れの必然性というようなものに着目する見方と、個人の果たす役割により多くの比重を置く見方がある。E.H.カーは前者の見方をとり、アイザック・ドイッチャーは後者の見方をとったと、とりあえず言えるのではないか。じっさい、カーのロシア革命論は、全体としての歴史の流れに比重を起き、ロシア革命を必然性の論理に従って見るような姿勢が優勢である。それに対してドイッチャーは、個人が果たした役割により多くの力点を置いた。かれはトロツキー三部作とか、スターリンの伝記を手掛けているが、それらは歴史上の特定人物に焦点を当てながら、ロシア革命という壮大な実験に、個人が果たした役割をより重視した業績といえるのである。

ドイッチャーがロシア革命にコミットし続けたのは、かれ自身ポーランドの社会主義運動に深くかかわったからだった。かれはポーランドのユダヤ人として生まれ、東欧の社会主義運動に身を投じた。そのことからかれは、ロシア革命を核としながら世界全体の社会主義の実現の可能性を生涯夢想しつづけた一方、ユダヤ人としては、ユダヤ人のアイデンティティのようなものに関心を示した。ドイッチャーの膨大な業績は、そのほとんどがロシア革命と社会主義の可能性をめぐるものだが、それと並んで、かれ流のユニークなユダヤ人論が今でも新鮮な刺激を投げかけてやまないのである。

ドイッチャーが、マルクスやトロツキーに親近感を抱いたとすれば、それはユダヤ人であるという共通の属性が、なさしめたと言えないわけでもない。もっともドイッチャーが体現したユダヤ的なものとは、ユダヤ人が歴史的に培ってきた固有の民族性に閉じこもったものではなかった。むしろ逆に、ユダヤ人性を脱却したコスモポリタン性がかれの真髄だったといえる。かれがマルクスやトロツキーに親近感を抱いたのは、ユダヤ固有の民族性を介してではなく、コスモポリタンな姿勢を通じてだった。

ドイッチャーはマルクスの予言に関しては、ほとんど疑念を持ったことはなかったようだ。マルクスの予言によれば、資本主義という歴史的な制約を帯びたシステムは、いづれは矛盾を露呈して破綻せざるをえない。その破綻を超えて、人類を新たな歴史に向かって導くのは社会主義であり、その社会主義は、本来高度に発達した資本主義諸国で実現するだろうと考えていた。その考えからすれば、ロシア革命は鬼子といってよかった。だが、いづれ世界的な規模で社会主義へのシステム転換が起これば、ロシア革命の成果もその流れの中に統合されていくだろう、そうドイッチャーは考えていた。ドイッチャーが生きている間には、世界規模での社会主義革命は起らなかったが、かれはいつかそれが実現するだろうと固く信じながら死んでいったのである。

そんなわけだから、ドイッチャーの社会主義論には、単に科学的というにとどまらず、信仰というべきものを感じさせる部分もある。その信仰のあり方からすれば、ロシア革命は多くの逸脱を含んでいる。その逸脱がスターリンの全体主義を生んだ。そのようにドイッチャーは考えていた。そうした姿勢が、かれの畢生の大作「トロツキー三部作」にも色濃く反映している。この三部作においてドイッチャーは、トロツキーをロシア革命の最高の指導者と位置づけながらも、かれのうちに全体主義的な傾向を感じ取り、その傾向がスターリンの全体主義を用意したと厳しい評価をしている。


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