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ドイッチャー「非ユダヤ的ユダヤ人」を読む


「非ユダヤ的ユダヤ人」は、アイザック・ドイッチャーがユダヤ人問題について発表した論文及び講演草稿を、妻のタマラが夫の死後刊行したものである。彼女は序文に加えて、夫の簡単な伝記を寄せている。夫のドイッチャー自身、自伝を書こうとして果たせなかったので、彼女がかわってそれを果たしたというわけである。その夫のドイッチャーを妻の彼女は、ユダヤ人であることに徹底的にこだわったユダヤ人だったといっている。何しろポーランドのゲットーで生まれ、十三歳でラビとなり、東欧社会の野蛮なポグロムを何度も体験し、敬愛する父親をアウシュヴィッツで殺されたのであるから、ユダヤ人であることに自覚的になるのは当然のことだった。だが彼が自分を何よりもユダヤ人としてアイデンティファイしたことは、偏狭なナショナリストになることではなかった。逆にかれほど、ナショナリズムに無縁なインタナショナリストはいなかった、とタマラはいうのである。

ドイッチャーのインタナショナリズムは、シオニズム批判にもっともよく現れている。かれはユダヤ人であることに誇りを持ち、ユダヤ人の民族性に理解を示したが、しかしその偏狭な現れとしてのシオニズムには終始批判的だった。大戦後イスラエル国家が建設されたとき、ドイッチャーはそれを祝福したにもかかわらず、イスラエルの建国を指導したユダヤ人たちのシオニズムには批判的だった。かれは、ユダヤ人の民族としての解放は、偏狭なナショナリズムに基づくイスラエル国家の建設によってではなく、世界規模の社会主義革命による全人類の解放の一環となることによって達成されるべきだと考えたのである。

シオニズムは東欧のユダヤ人社会から生まれた、とドイッチャーは見ている。それに対して西欧のユダヤ人社会は、自分たち独自の国家を持つよりは、西欧社会に溶け込み、その一員として処遇されることを目指した。ドイッチャー自身はポーランドの出身で、したがって東欧のユダヤ人社会に属していたわけだが、精神的には、西欧のユダヤ人社会に同化していたといえる。ドイッチャーは、同じユダヤ人でも、西欧のユダヤ人と東欧のユダヤ人ではまったく異なった精神構造を有していると見ていた。西欧のユダヤ人は、なるべく住み着いた国の文化に同調しようと努力し、土地の住民と混在するかたちで居住した。それに対して東欧では、ユダヤ人社会は土地の社会には溶け込まず、自分たちだけのコミュミティを形成して、周囲から隔絶した生活を送った。それは半ば強いられた孤立でもあったわけだが、ユダヤ人自身が求めた在り方でもあった。そんなユダヤ人社会が、周囲の土着の社会と融合したり、和解したりすることはむつかしかった。ポグロムという言葉はロシア語起源だが、東欧では、ユダヤ人への迫害を現わす共通の言葉になっている。東欧では、ユダヤ人社会の孤立は周囲からの迫害をともなっていたのである。

そんなわけだから、東欧のユダヤ人社会から、自分たちだけの安住できる国を作ろうという動きが出てくるのは避けがたいことだった。その動きは、20世紀のはじめからあったのだったが、アウシュヴィッツとホロコーストが決定的な後押しをした。これらの悲劇は、ユダヤ人は自分たちの国をもたないかぎり、安住できないという思いを強めたのである。

ホロコーストは東欧を巻き込んだ全ヨーロッパ的な規模の出来事だったが、アウシュヴィッツで殺されたユダヤ人には西欧のユダヤ人が多数いた。その殺されたユダヤ人に、イスラエルのユダヤ人があまり同情しなかったことはよく言われる。西欧のユダヤ人は、西欧社会に融和しようとして、かえって迫害された。自分たちのように、シオニズムの理念にしたがってイスラエルの地に移住していれば、殺されずに済んだという理屈である。実際、イスラエルの建国の指導者は、ポーランドをはじめ東欧の出身者が中心だった。

ドイッチャーはポーランドの出身である。祖先は代々印刷を家業としており、一族はアシュケナージと名乗っていた。アシュケナージとはイディッシュでドイツ人という意味である。その一族からドイッチャーの直接の祖先がドイッチャーを名乗るようになった。ドイッチャーは文字どおりドイツ人という意味である。東欧のユダヤ人は、イディッシュを共通語とするが、イディッシュはドイツ語を母体とした言葉であり、ドイツ語の一方言といってもよい。そのイディッシュで書かれた文学にドイッチャーは深い愛着をもっていたようだが、ドイツ語自体には関心を持たなかったといっている。

そのポーランドではユダヤ人への迫害がひどく、たびたびポグロムが起こった。だが、ポグロムという言葉がロシア語起源であるように、ロシアにおけるほうが、ユダヤ人への迫害はすさまじかった。スターリンはそんなユダヤ人を集団でシベリアに移住させたのだったが、その直接の理由は、ユダヤ人が反革命だということである。たしかにユダヤ人の大多数は革命に反感を持っており、スターリンから敵視される理由があったわけだが、しかしスターリンによってシベリアに送られたことで、ナチスにつかまってガス室送るになることは免れた。歴史には何が起こるかわからないという実例である。

ユダヤ人への偏見は、西欧でも東欧でもたいしてかわらない。その最大の原因は、ユダヤ人の金もうけ主義に対する東西ヨーロッパの民衆の反感である、とドイッチャーは考える。ユダヤ人は、資本主義の始まる前から、金を資本として扱い、金で金を増やすという錬金術に巧みだった。その錬金術がヨーロッパの正直な人間を苦しめた。ユダヤ人は人間の纐纈を搾り取って生きている、そういった強い偏見が人々を駆り立てて、ユダヤ人を迫害させたというのがドイッチャーの見立てである。そんなわけだからドイッチャーは次のように言ってのけるのである。「ナポレオンがユダヤ人の高利貸しや不法商行為の習慣を中止させようとし、かれらの分離主義を打破し、ユダヤ人以外の社会に融合させよとしたことはたしかに健全であった。そして、もし整然とそれが全欧州で実施されていたならば、ユダヤ人問題などはとうの昔に忘れさられていたことであろう」(鈴木一郎訳)。

ところがユダヤ人は、今日にいたるまで、高利貸しや不法商慣習を理由に憎まれ続け、分離主義の罠にはまり、挙句の果てはナチスによってガス室に送り込まれるはめにあう。それをポーランドの一新聞は、「ナチスはわれわれの手では決して解決できなかったような仕方で、われわれのためにユダヤ人問題を解決してくれている」といって、快哉を叫んでいるのである。




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