TOKYO
TOWNSCAPES

  


谷中・日暮里



日暮里道灌山から上野公園にかけて南北に細長くのびた丘状の土地は、武蔵野台地の東の端にあたります。台地の端ですから、隅田川・荒川沿いの低地に向かって突き出しているように見える一方、西側は愛染川が刻んだ谷によって本郷台地と切り離されていますから、孤立した丘のようにも見えます。

この丘状の土地を、ひとびとは古くから忍ぶの丘と呼んでいました。麓にある不忍池と一対のものとしてとらえられていたのです。丘の中ほどには、鎌倉時代に既に古刹天王寺(旧称感応寺)が建てられています。徳川時代に天王寺の南側に寛永寺が造営され、明暦の大火以後多くの寺がこの地に移転してきて、一帯は大規模な寺町を形成するに至りました。

今日においても、この丘は寺の多い街としてのイメージを強くもたれています。寛永寺の跡は上野公園として整備されましたが、天王寺周辺とその北側の諏訪台一帯には多くの寺院が連なり、寺院の間に仕舞家が点在するといった光景を呈しています。また、天王寺の境内の一部には谷中霊園が造営され、地域に静謐な空気をもたらしています。

この地域は、空襲を免れたこともあって、街の古い雰囲気が最近まで濃厚に残っていました。寺々はひとつひとつが歴史を背負い、著名人の墓をあちこちの寺に見ることができます。杖をひきながら、のんびりと苔を掃って歩くのに、もっとも適した空間であるといえます。







谷中三崎坂寺町日暮里道灌山

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