TOKYO
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向島ー墨東の隠れ里



向島は、江戸の市街の中では、もっとも遅れて開けたところです。

地勢的には、本所の北側に連坦していますが、ひとびとはむしろ、隅田川を挟んで今戸との間を渡し舟で行き来していました。ですから、当時の江戸市民にとっては、向島は隅田川のかなたにある、遠く離れた土地だという印象が強かったと思われます。

そんな向島が賑わうようになるのは、文化文政以降のことです。墨堤の桜や、当時できたばかりの百花園は観光名所となり、多くの人が訪れましたが、土地に住む人の数も次第に増していったものです。徳川時代末期の向島の様子は為永春水の小説「春色色暦」などに描かれています。それらを読むと、江戸郊外のひなびたところという雰囲気が濃厚に漂ってきます。

明治以降の向島は、首都郊外の田園色豊かな土地として、多くの文化人が居宅を構えました。依田学海や成島柳北、大槻磐渓といった人びとです。少年時代の森鴎外が、依田学海に漢学を習って、千住の家から墨堤の学海の家まで通ったことは良く知られています。

このような歴史的背景もあって、向島には花街が栄えました。墨堤沿いの洲崎の花街のほか、玉の井にはいわゆる赤線地帯が形成され、永井荷風の小説墨東綺譚の舞台ともなりました。向島一帯は、先の大戦での空襲を免れ、古い市街地が破壊されずに残ったため、つい最近まで、むかしながらの建物が多く残されていたものですが、時の流れとともに、次第に昔の雰囲気をなくしつつあります。






墨田公園向島の社寺見番通り向島花街鳩の街玉の井


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