TOKYO
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王子・飛鳥山



飛鳥山と音無川が一体となって独自の景観を作っている王子周辺は、徳川時代より庶民の行楽の地として賑わってきました。そんなことから、明治6年には、東京の近代的都市公園第1号として、飛鳥山が指定されたほどです。

王子の地名は、この地に鎮座する王子権現に由来します。元享年間(1320年代)、豊島氏が紀州熊野の若王子社を勧請し、これが後に王子権現と呼ばれるようになった頃から、この地一帯を王子と呼ぶようになったものです。また、飛鳥山も、若王子社と同時期に勧請された飛鳥明神にその名の由来を有しています。

徳川時代以前、石神井川は王子権現の下で二つに分流し、一つは南下して不忍池へと、一つは東行して山谷堀へとつながっていました。王子権現下ではかなりの高低差があったらしく、川は滝をなしていました。そこから、石神井川はこの付近では滝野川と呼ばれたり、あるいは言葉の洒落から音無川と呼ばれるようになりました。

徳川八代将軍吉宗は、王子権現と飛鳥山が自分の生地紀州とゆかりがあることを知り、飛鳥山に桜1200本余りを植えて、王子権現社に寄進しました。これ以降、飛鳥山は江戸庶民にとっての花見の名所となりました。

近代以降、日本の産業化が進むにつれ、王子周辺は工場地帯へと変貌していきます。明治時代に王子が工場地帯へと化していった様子を、正岡子規が次のような俳句にしています。
   青葉若葉 煙突多き 王子かな
しかし風光明媚な飛鳥山は桜の名所として引続き人々の行楽の場となり、今日においても、多くの人々をひきつけています。

2006年の春、小生は桜を求めて、飛鳥山と音無川にやってきました。








王子駅飛鳥山音無川王子権現



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