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勝鬨橋が架けられたのは昭和15年、先の大戦の最中のことです。
この年の秋、東京オリンピックが予定されており、 それに続いて晴海での万国博覧会の予定なども あったため、帝都の門として世界にアピールすべ く、オリンピックの開会式に間に合わせるように作られたとされています。
だが、計画の始まりは明治の末にさかのぼり、工事が着手されたのは昭和8年のことです。
大正の後半から昭和の初期にかけて隅田川の 規模な浚渫が行われ、そこから生じた泥土を用いて晴海や豊洲などの埋立地が現れました。 この新し生じた島々と都心を結ぶものとして、架橋の必要性が高まっていた結果、この橋が作られたとするのがもっとも納得のゆく説明でしょう。
橋の中央部分の双葉跳開橋と呼ばれる部分は、 2枚の桁が70度の角度に開き、大型船を通過させることができるようになっています。
最盛期には、年間800回ほど開いたとされますが、昭和43年を最後に開かなくなってしまいました。
今日、この橋を愛する人たちによって、双葉を跳 開させる運動が盛り上がっています。橋の管理者である東京都では、その声を受けて、近く橋を昔の通りに開かせる研究を行っているそうです。
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