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山上憶良:我が子の死を悼み恋ふる歌


万葉集巻五の最後に「男子名は古日を恋ふる歌」が載せられている。その詞書に「右の一首は作者詳らかならず、但し、裁歌の体、山上の操に似たる」とあるを以て、作者について色々の詮索もなされた。今日では、これは山上憶良の歌であるというのが定説となっている。筆者もそう考え、ここではそれを前提にして、話を進めていきたい。

作られた時期は明らかでないが、恐らく億良最晩年のことであったろう。憶良には、七十歳前後という高齢で、我が子を詠んだ歌がある。そのことについては前稿で取り上げた。そこで憶良が慈愛を以て歌っていた子が、古日なのではないか。。

憶良の深い悲しみが、この歌からはひしひしと伝わってくる。先に、子を思う億良の、例のない慈しみの気持ちを見てきたが、ここでは、その子を失って悲しむあまり、激情するまでに至る、一人の老いた人間の叫びが聞こえてくる。

―男子名は古日(ふるひ)を恋ふる歌三首 長一首、短二首
  世の人の 貴み願ふ 七種(くさ)の 宝も吾は
  何せむに 願ひ欲(ほり)せむ 我が中の 生れ出でたる
  白玉の 我が子古日は 明星(あかぼし)の 明くる朝(あした)は
  敷細(しきたへ)の 床の辺去らず 立てれども 居れども共に
  掻き撫でて 言問ひ戯(たは)れ 夕星(ゆふづつ)の 夕べになれば
  いざ寝よと 手を携はり 父母も うへはな離(さか)り
  三枝(さきくさ)の 中にを寝むと 愛(うるは)しく しが語らへば
  いつしかも 人と成り出でて 悪しけくも 吉けくも見むと
  大船の 思ひ頼むに 思はぬに 横様(よこしま)風の
  にはかにも 覆ひ来たれば 為むすべの たどきを知らに
  白妙の たすきを掛け 真澄鏡 手に取り持ちて
  天つ神 仰(あふ)ぎ祈(こ)ひ祷(の)み 国つ神 伏して額づき
  かからずも かかりもよしゑ 天地の 神のまにまと
  立ちあざり 我が祈ひ祷めど しましくも 吉けくはなしに
  漸々(やうやう)に かたちつくほり 朝な朝(さ)な 言ふことやみ
  玉きはる 命絶えぬれ 立ち躍り 足すり叫び
  伏し仰ぎ 胸打ち嘆き 手に持たる 吾(あ)が子飛ばしつ 世間の道(904)
反歌
  若ければ道行き知らじ賄(まひ)はせむ下方(したへ)の使負ひて通らせ(905)
  布施置きて吾は祈ひ祷む欺かず直(ただ)に率(ゐ)行きて天道知らしめ(906)

「世の人の 貴み願ふ 七種の 宝も吾は 何せむに 願ひ欲せむ」と、歌は老年にして子を得た喜びから始まり、その子と過ごした日々を描く。「白玉の 我が子古日は 明星の 明くる朝は 敷細の 床の辺去らず 立てれども 居れども共に 掻き撫でて 言問ひ戯れ 夕星の 夕べになれば いざ寝よと 手を携はり 父母も うへはな離り 三枝の 中にを寝むと」現代に生きる親子と変わらぬむつまじき日々が回想される。

この大船と思い頼んでいた子が、俄かに病にかかり、息も絶え絶えになっていく。親としては、なすすべもなく、「白妙の たすきを掛け 真澄鏡 手に取り持ちて 天つ神 仰ぎ祈ひ祷み 国つ神 伏して額づき」神霊に祈るばかりであったが、我が子は、「漸々に かたちつくほり 朝な朝な 言ふことやみ」ついに命が絶えてしまった。老いた億良は、「立ち躍り 足すり叫び 伏し仰ぎ 胸打ち嘆き」途方に暮れるばかり。手に抱いた我が子の骸を、激情のあまりに投げ飛ばしてしまうのである。

親の子に対する、こんなにも烈しい情愛を、筆者は外に知るところがない。

二首の反歌にもまた、死んだ子を思う親の心がほとばしりでている。古代人にとって、死んだ子がどのようになるのか、そこにはこの国に独特の霊魂観と他界観があった。だが憶良は、我が子は死後には天道すなわちあの世へと旅立っていくものととらえていたようである。

「若ければ道行き知らじ賄はせむ下方の使負ひて通らせ」という歌には、そんな我が子が無事天へ昇れるようにとの願いがこもっている。また、「布施置きて吾は祈ひ祷む欺かず直に率行きて天道知らしめ」という二首目の歌には、布施を置くから、我が子が途中迷わずにすむよう、必ず案内してくれよと、念を押すように歌っている。

この二つの短歌は、子の冥土への旅立ちを主題に、親子のつながりの深さを歌ったものとして、古今東西ほかに例のない真実味がある。山上憶良という歌人の本当の偉大さは、この真実のうちに横たわっていると、筆者などは思うのである。

(追記)山上憶良には、渡来人であったとする説が根強くある。北山茂夫などは、憶良に見られる、日本古来の神々への尊敬の念を根拠に、この説を強く否定しているが、憶良の仏教的な教養や、この歌に見られる死生観などは、あるいは、渡来人説を補強する材料となるのかもしれない。なお、筆者の考える日本人古来の死生観については、当ブログ内「日本文化考」所載の論考を参照願いたい。






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