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乞食者の歌(万葉集を読む)


万葉集巻十六に、「乞食者の詠二首」と題された珍しい作品が載せられている。まず、乞食者(ほかひひと=ほかいびと)とはどういう人をさすのかについて、古来議論があった。文字通りの乞食という意味ではなく、芸を売る見返りに食を得ていた、芸能民の類だろうというのが大方の説である。

この当時の芸能は、中国から伝えられた散楽が中心であった。散楽は音楽や軽業などの雑芸からなっていた。朝廷は散楽の役者を養成するために、散楽戸というものを作り、貴族社会に奉仕させた。散楽戸は、桓武天皇の時代の延暦元年(782年)まで存続しているから、それまでの間、散楽が民衆に身近であったとは思われない。だが、散楽の要素が民間のものにも伝わり、乞食者と呼ばれる人々によって演じられたであろうことは考えられる。

「ほかひ」という言葉には、食を請うという意味合いのほかに、「寿ぐ」という意見合いもあった。「乞食者(ほかひひと)」たちは、めでたい芸を売っていたのではないかと想像されるのである。

万葉集にある乞食者の歌二首は、鹿と蟹の立場に立って、それぞれ人間たちに食われることの苦しみを歌ったものである。歌の調子からして、ただ歌われるだけでなく、身振り手振りを加えて面白おかしく演じられたのではないかと想像される。古代の芸能の姿を垣間見ることができる貴重な作品といえよう。

まず、鹿のために痛みを述べる歌を鑑賞してみよう。

   愛子(いとこ) 汝兄(なせ)の君 居り居りて 物にい行くと
   韓国(からくに)の 虎といふ神を 生け捕りに 八つ捕り持ち来
   その皮を 畳に刺し 八重畳 平群(へぐり)の山に
   四月(うつき)と 五月(さつき)の間(ほと)に 薬猟 仕ふる時に
   あしひきの この片山に 二つ立つ 櫟(いちひ)が本に
   梓弓 八つ手挟(たばさ)み ひめ鏑(かぶら) 八つ手挟み
   獣(しし)待つと 吾が居る時に さ牡鹿の 来立ち嘆かく
   たちまちに 吾は死ぬべし おほきみに 吾は仕へむ
   吾が角は 御笠の栄(は)やし 吾が耳は 御墨の坩(つぼ)
   吾が目らは 真澄の鏡 吾が爪は 御弓の弓弭
   吾が毛らは 御筆の栄(は)やし 吾が皮は 御箱の皮に
   吾が肉(しし)は 御膾(みなます)栄やし 吾が肝も 御膾栄やし
   吾が屎は 御塩の栄やし 老いはてぬ 我が身一つに
   七重花咲く 八重花咲くと 申し賞(は)やさね 申し賞やさね(3885)
右の歌一首は、鹿の為に痛を述べてよめり。

さあ、あなた、じっとしていては何もできませんよ、韓国の虎を生け捕りにして八つ持ってきなさい、その皮を畳にして八重畳を作り、平群の山で4月と5月の合間に行われる薬猟にお仕えしましょう。

平群の片山の櫟の木の下で、弓と鏑矢を携えて鹿の来るのを待っていると、牡鹿がやってきて、嘆いていうには、私はすぐにも死んで帝にお使えしましょう、私の角は笠のかざりに、耳は墨の壺に、目は鏡に、爪は弓弭に、毛は筆に、皮は箱に、肉は膾に、肝も膾に、腸は塩辛になりましょう。老い果てた私の身でも、七重八重に花が咲くと、褒めてください、褒めてください。

「愛子」から「畳に刺し」までは、八重畳を導き出すための助詞のようなものだろう。その八重畳は更に平群山にかかる。歌はこの平群山を舞台に、鹿の嘆きを劇にしたものだ。その嘆きの中には、自分の持ち物がことごとく召し上げられるという、平民たちのお上への風刺の気持が含まれている。

次は、蟹のために痛みを述べる歌である。

   押し照るや 難波の小江(をえ)に 廬(いほ)作り 隠(なま)りて居る
   葦蟹を おほきみ召すと 何せむに  吾を召すらめや
   明らけく 吾は知ることを 歌人と 我を召すらめや
   笛吹きと  我を召すらめや 琴弾きと 我を召すらめや
   かもかくも 命受けむと 今日今日と 飛鳥に至り
   置かねども 置勿(おきな)に至り つかねども 都久野に至り
   東の 中の御門ゆ 参り来て 命受くれば
   馬にこそ 絆(ふもだし)掛くもの 牛にこそ 鼻縄はくれ
   あしひきの この片山の 百楡(もむにれ)を 五百枝剥き垂り
   天照るや 日の日(け)に干し さひづるや 柄臼に舂き
   庭に立つ 磑子(すりうす)に舂き 押し照るや 難波の小江の
   初垂を 辛く垂り来て 陶人(すゑひと)の 作れる瓶を
   今日行きて 明日取り持ち来 我が目らに 塩塗り給ひ
   もちはやすも もちはやすも(3886)
右の歌一首は、蟹の為に痛を述べてよめり。

難波の江に庵を作って隠れ住んでいるこの蟹の私を、帝がお召しになる。何のためだろうか、歌人としてだろうか、笛吹きとしてだろうか、それとも琴弾きとしてだろうか。とにかく仰せを承ろうと、飛鳥にはせつけ、置勿に至り、都久野に至り、中門から入って承れば、何と意に反して、馬に使う絆を掛けられ、牛に使う鼻縄をくれられ、楡の枝でくくられて、天日に干された挙句、臼でつかれてしまった。陶人の作った瓶に私を入れると、私に塩を塗って食べようとなされる。食べようとなされる。

これはお上に召し上げられた蟹の気持を歌ったものだ。鹿の歌とは異なり、お役に立とうと喜んで参上したところ、意に図らず食われてしまったと、嘆きの感情は一層強い。






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